League of Legendsを辞めた

表題の通りよ。

私生活が慌しくなり、1ゲーム数十分拘束されるチームゲームというのはプレイし辛くなった。だいぶ長いこと...5年も遊んでいたけど、辞めると決めたらアッサリしたもので、アンインストールしてしまえば当然もう遊ぶことはなかったし、想像以上に未練は無かった。

 

全然上手くならなかったし、上手くなろうという努力みたいなモノもしなかったなと思う。

そもそも向いていない部分は多かった。自分の視界にステルスのChampion(キャラ)が突然現れたら、吃驚してマウスを落としていた。敵を殲滅しようという殺意に全く興奮しなかったし、故にKillに対して恐ろしく弱気だった。あと、集団戦でエフェクトが沢山重なると自分がどこにいるのか、誰のスキルがどう、敵がどこにいるかとかグチャグチャっとなって見えていませんでした。だから一番後ろでビーム撃ってるChampionが好きだった。

それでも、チームゲームという一点はその全てを無視できるくらいに楽しかった。

協力したり、誰かを支えたり、褒められたり、感謝されたりの「団結心を味わう」というのは精神にとってあまりにも甘美なパルスだった。凄いよ。

仕事なり部活なり、人生色々と他人と協力してなさねばならないプロジェクトは多くあるけど、これほどインスタントに協力―団結―成功のカタルシスを味わえるってさ、ゲームって最高だよ。凄いよ。

仕事から帰ってきて、ご飯を食べて、PCをつけて、誰かがログインしてきて、寝るまでくだらない事を喋りながら、勝ったり負けたりするのはとても楽しい。友達ってサイコーだな!って気持ちになる。まあ友達っていうのは、基本的に最高のものをそう呼ぶんですけど。

 

でも全然上手くならなかったし、上手くなろうという努力みたいなモノもしなかったと思う。

昔から、あんまり努力が得意じゃなかった。中学の時はテニス部だったけれども、他人の試合やプロプレイヤーには興味が無かったし、延々と素振りやスマッシュを打ち続ける練習って嫌いだった。私は、そこそこの上達で、なんとなーくポンポンやって、それなりにそれなりのアマチュアプレイが出来ていれば充分だった。私が楽しいのは誰かと遊んでいることで、そこに存在するゲームプレイのクオリティはそれほど重要ではない。

でも当然、長く遊んでいればボンヤリと上を意識するし、なにより負け方にマンネリが出てくる。自覚的な自分の愚かさに見て見ぬ振りして遊ぶのは、勝利以外の目的意識が強くないと出来ない。でもこのゲームは勝利か敗北かで結論が出るものなので、時々(自分に)ウンザリするようになってくる。難しい。仲間にも申し訳ない。

 

多分、そろそろ辞め時なんだなと思っていた。

ズルズルと辞めなかったのは、なんとなく「誰かと遊ぶ」っていうトリガーが無くなってしまうのが寂しかっただけだ。別にちゃんと声かけて集まれば良いだけなんだけどね。でも、なんとなくそこに集まって、遊んで、なんとなく解散するような......青春時代の部室みたいな場所がオンライン上にあるっていうのは、とても素敵なことだった。

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