百花電葬

立法府によって生命の定義がなされた頃、私達は魂の定義について考えていた。

濡れた都市の路面には無秩序な光が揺らめいている。鈍色の壁には象形文字のような落書きがある。通りの奥を緑色の目をした黒猫が横切った。見上げた空は暗く、星は無い。かつて物語の中で創造されたようなような電子の世界が、今は物語の外にある。宇宙と生命の定義は長い議論を呼び、倫理と宗教の境界はより曖昧になった。言葉と秩序に従って生きていく為に我々は司法にその定義を委ね、残された幻想の拠り所として魂が選ばれた。

死ぬ時に私達は何を失うのか?

 

夜は明け、街に電子の太陽が昇る。

視界は夏の灰色だ、夢の続きのような解像度で哀愁を呼び寄せる。足元の水溜りにはきちんと青空が映されており、踏み込めばパシャリと音がする。シヅカはこうして水溜りを壊すのが好きだった。数歩歩いて、何も言わないシヅカを引き寄せる。二人で空に立っているみたいだね、と嬉しそうにした君の言葉を思い出して、手は繋いだままにした。そろそろだろう。

ごう、と遠くから音が先に来る。次いで色が来た。

街に淡い緑色の風が吹きぬける。どこからか飛んできた長いストールが小さな龍のように天に昇り、足元の空が揺らぎ、桃色のテクスチャが舞う。シヅカは何も言わない。長い髪の端に無数の花が踊る。光で顔が見えない。自分の電子の指先から、繋いだ手が花弁になり解けていくのが見えた。名前は呼ばなかった。そんな事をしたって自分の哀愁を詩的にするだけだ。分かりきっていたことだ。それでも吹き荒ぶ悲哀が私の身体を打ち付けて止まない。緑の風がシヅカを無数の桃色の花弁に変えて、変えて攫っていく。シヅカが消え去るまで私は一言も発しなかった。 ビュウ、ともう一度大きな風が来た。この1年間、表情も動作も言葉も無くシヅカはそこに居た。それでも救われる心はあったし、だからこそやはり喪うものもあったのだ。見るたびに胸が痛くならなかったと言えば嘘だ。でもこれだけの痛みがあったのだから、もう喪失感など感じないと思っていた。そんな事は無かった。緑の風の中で、喪失の杭が深々と私の心臓に穿たれたのを感じていた。もう傍には何も居ない。ただ桃色が舞い、遠ざかっていく。

頭に付けた機器と肉体の間でじっとりと汗が流れる。足元で絡まるコードが気持ち悪い。指先でグラスを探し、すっかり氷の溶けた麦茶を流し込む。昨晩からずっと繋ぎっぱなしで、脳も眼も肩も疲労が溜まっていた。ゆっくりとクラウンを脱ぐと、濡れた髪が頬に張り付き、額から滴る汗が目に滲みた。握り締めたコップには新しく冷えた麦茶が注がれる。ファンが唸る音がした。左腕のバンドが空調への指令を送ったのだろう。オーダー、と呟くと控えていた無機の妖精が穏やかに立ち上がり小首を傾げた。

 

世界は電波と愛で繋がり、人と世界は目に見える線で繋がっている。世には表情の無い無機の妖精が溢れ、最適化された機械達が私達の日々を満たしてくれている。言葉になるよりも早く心地よい風が吹き、冷たい水が注がれ、穏やかな無音がもたらされる。人にはそれぞれ、生まれたときから人生を共にする有機の相棒があり、もはや孤独すらも感じる必要が無い。かつて物語の中で創造された裕福な未来は今、物語の外にある。

 

シヅカが死んだのは―――シヅカの火葬があったのは昨年の9月だった。老衰の大往生だった。人は、死ぬときも一人ではない。天国までの道は相棒が導いてくれる。葬儀に訪れた多くの人々が、長いこと彼女の煙を見つめていた。思いを馳せる目だ。この目だけは魂と肉体と生命を持つ者にしか出来ない。私は青空に溶ける煙を見つめながら、きっと幸福な人生だったのだろうと思った。

肉体を失った電子世界の分身は、翌年の夏に緑の風と共に消去するのが慣習だ。法は無い。ただそうすべきだと、そうすべきだと思う世界にした方が良いと考えた数人がこの風習を創った。40年前の事だ。真夏のこの時期、死者が還って来る。電子の世界では消え去る。

何がだろう?

 

もう一度接続すると、電子の街には未だ不定期に吹く緑の風が、そこかしこの桃色を舞い上がらせていた。青空に立っているのは一人、風はただ私の髪を揺らすだけだ。私は未だ生きている。南へ向かうこの風は、明日までにこの街から全ての花弁を攫っていくだろう。

友が死ぬ時に、私達は何を失うのか。そこに何があったのか。