みんなにとっての誰のものでもない場所

読書会を主催している。

いつの間にか「忙しい」と思うようになった。暇があれば誰かに声をかけて街へ飲みに行くことも、夜中にオンラインゲームで友達と何時間も遊ぶこともしなくなった。それでも何となく、仕事だとか家庭だとかのような必要から成る小集団だけではなく、フリーの、気兼ねしないコミュニティに身を置いていたいな…という気持ちがあって読書会を立ち上げた。


基本的には知り合いのみで、私が友人達の中の「本が好き」という人に声をかけて、更にそこから声をかけて…の招待制で構成されている。

こうしたのは、一つに読書会というものを(しかもオンラインのテキストチャット形式で)どういう風に進行して纏めれば良いか分からなかったので、少人数で手探りやりたかったこと。

 

もう一つは小集団の運営の問題を意識してのことだった。

小集団…サークルとかいつもの遊び仲間とか、何でも良いんだけど。いつの間にか誰が誰なのか分からないほど人が増えていると、いつに間にか精力的に活動する人達だけがワイワイやる場所になってしまっていて、何となくその場に居辛くなるんじゃないか…との懸念があった。この「精力的」を具体的に言うと、例えば頻繁に部室に来るメンバーだったり、そのジャンルの知識量の凄いオタクだったり、その存在の良い悪いは全く関係なく、つまり…そこに注げる熱量、時間、体力がある人のことだ。

 

オフラインの大規模な読書会に行った時に、そのジャンルに精通している人々の「これって〇〇のオマージュだよね」「ここ、やっぱ『XXXX』を思い出しちゃうね(ア〜分かる〜)」みたいな会話が楽しくて、半分くらい辛かった。自分の知らない元ネタや背景などを教えて貰うのは非常に面白かったが、一部辛かった。みんな知ってるジャン?みたいな前提に疎外感を感じた事もある。教えて貰った面白い本を探しても、大抵は絶版の古い本で、kindleがないどころかAmazonにも中古の値上がりした商品しかなく、市立図書館にもあるかどうか…のような本ばかりだったのも辛かった。エェーーー全然追いつけないじゃん!

凄く楽しい時間ではあったけども、居場所のひとつという形で存在している集団ではないな、とは思った。そう、自分が目指す形はこういうのじゃないな…とも。

 

ずっと「部室が欲しい」みたいな事を呟いていた。

今だってLINEでもdiscordでもトークルームやサーバーがあって、友達とチャットする場所は沢山ある。でも、そういうのではなくて…例えば大学時代の部室みたいに、ふらっと立ち寄ると誰かがたまたま居て、少し話して、そう…本当は部室に忘れたパスケースを取りにきた筈だったんだと思いながら解散する。そういう「寄り道」さがある場所だ。そう、「グリフィンドールの談話室」みたいな。

でもここで思うのは、前述の精力的な…「めちゃくちゃずっとグリフィンドールの談話室に居座ってめちゃくちゃ濃密な会話をしているハリーとハーマイオニーとロン(例)」の存在だ。他のメンバーがフラッとボケッと使う時、いつの間にか「誰のものでもない場所」が無くなっていて、その人が居辛くなるのは嫌だな、と私は思う。

ちゃんとずっと「みんなにとっての誰のものでもない場所」が持続されて欲しい。

 

少し他人の部屋みたいな居心地の悪さがあって、でもそれって全員そうだろうな、みたいな共犯者みたいな空気がある場所が作れると良いなと思った。今のところまぁまぁ上手くいっていて、毎回課題本を考えるのは大変だし、反省会もあったりするけど、とりあえず次が楽しみな空間にはなっている。と思う。

あとシンプルに、同じ本の他人の感想を聞くのはとても楽しい。ま、ね。それがしたかったからね。

読書会、ちゃんと細々と続けられたら良いなぁ。