カーステレオから流れる魔笛と死んだ恋

カーステレオから流れる魔笛の『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』を聞いて、ふと思い出す早春があった。

死んだ恋のことだ。

恋は失うでもなく破れるでもなく、死ぬことがある。

 

私の行っていた高校の特進クラスでは、一年と二年が三月に一泊二日の合同勉強合宿を行っていた。三月と言えども未だコートも手放せぬ時期で、ましてや山奥の廃校だか廃庁舎だかを改装した研修所だったから、私たちはずっと寒い寒いと言っていた。

勉強合宿と言っても、いくつかの特別授業があるくらいで大半は自習である。いつもの生活と違うのは、夕飯の後も教室で級友達と勉強していたことくらいだった。私は数学の問題を解きながら、友人から貸してもらったALI PROJECTを延々ループさせていた。

GOD DIVAの冒頭で上述の曲のアリアが引用されている。

 

級友たちのこそこそと潜めた声と石油ストーブの熱の匂いと、窓から染み出す森の夜の空気と、アリカ様の天上へ響くかのような歌声と

解き続けた数学と、

数学が得意だった先輩のことと、

その先輩とは仲がとても良かったのにお互い上手く恋愛に至れなかったことと、

それもお互い分かっていて、

過ぎた時間が何かを風化さたことと、

そして昼間に交わした気恥ずかしい挨拶と、

もうそれくらいしか交わす言葉がなかったことと、

ノートに並んだ綺麗な自分の数式と、

どうしようもなかったなという後悔の術を持たない切なさだけが

今でも昨日のように思い出せる。

 

墓を持たない感情は、今では音楽や風でしか追悼することができない。

 

復讐の心なんて一つも持ち合わせていないのに、と淡く苦いその感情の裏側で

アリカ様の天使への絶叫のようなソプラノのアリアが響いている。

 

2022年ベスト(雑)

今年のベスト5です。これを、2022年12月31日22時50分に慌てて書いています。

ホリャッホリャッ ヨイオトシヲッ

  1. チベット幻想奇譚/アンソロジー
  2. この夏のこともどうせ忘れる/深沢仁
  3. チョコレートパン/長信太
  4. プロジェクト・ヘイルメアリー 上・下/アンディ・ウィアー
  5. わたしたち異者は/スティーヴン・ミルハウザー

アニメ

  1. 羅小黒戦記
  2. リコリス・リコイル
  3. 異世界おじさん
  4. Engage Kiss

詳細は以下の記事をご参照ください

2022年上半期ベスト+α(小説編) - 千年先の我が庭を見よ

※小説以外編は力尽きて出ませんでした

2022年夏のこと - 千年先の我が庭を見よ

2022年秋と冬のこと - 千年先の我が庭を見よ

2022年に知って良かったもの

・『アンナチュラル』『MIU404』(ドラマ)

・タカギベーカリーのチョコレートシュトーレン(おいしい)

こんなん読みましたけど | Podcast on SpotifyPodcast

バンドアパート(音楽)

・芋を蒸かして皮をむき、厚めの輪切りにして2~3日干せば美味しい干し芋が好きなだけ作れる(おいしい)

来年の抱負

・もうちょっと文芸同人を読みたい。本は図書館で読むものみたいなところがあって同人って全然読んでこなかったけども、なんかもっと読んでもいい気がしてきた

・ディスコエリジウムをちゃんとクリアする

・読書会サーバーでの定期雑談会。なんかこのタイミングなら人がいるぞみたいな感じのを…Twitterが滅びるかもしれないので…(そうなの?)

・そのほかお誘い頂いたDiscordサーバーでもわきわきしていきたい

・いうて何か仕事が忙しくなりそうなのであんまり頑張りすぎず、そしてリングフィットアドベンチャアも定期的にやりつつ、健康に過ごすのが第一です。

 

今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

2022年秋と冬のこと

2022年後半はなんか読みかけて放置している本が多くて、載せられるものが少なかった。あれだあれ、ペルソナ5ロイヤルやってたからだわ。仕方ないね。

小説

むらさきのスカートの女/今村夏子

うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。

そしてその”わたし”はその「むらさきのスカートの女」と友達になりたい、と考えている。わたしはその一心で、むらさきのスカートの女の生活を把握し、家を特定し、行先を確かめ、職場に誘導し、交友関係を押さえる。わたしの語りを通して、読者はむらさきスカートの女が、どのような匂いのシャンプーを使っているのか、毎日どのバスで通勤しているのか、職場での第一印象から公園での子供たちとの何気ないおしゃべりの内容、上司との関係、女性チーフ達による嫌がらせなどを知ることになる。わたしという存在がこの世に存在しないかのように「目」を通した語りが綴られる。

語り手の存在の希薄さに奇妙な感覚に陥っていると、突然、店員に「アンタ、ここで何やってるの」問われたり、同僚に「あの人は下戸なのよ!」と噂されたりするシーンが飛び出し、読者は”わたし”は確かに存在する人間なのだという実感を得ることになる。

「むらさきスカートの女」の生活をこれでもかと把握しつづける人間が実在している、という薄ら寒い実感をだ。

 

はっきり言って、読んでいて何も気持ちよくない小説である。ただ決して嫌悪感を惹起させる小説として在るわけではなく、「全然気持ちよくない」がずっと続く。薄ら寒い実感と、ここに出てくる登場人物全員どうなったって別にいいな…という無愛着の果てにこれまた勝手にすれば良いんじゃないみたいな結末がハッピーエンドみたいな顔してやってくる。

全く好みではない小説だったが、感想を文字にしてみるとなかなか面白くなったなと思う。

殺戮にいたる病/我孫子武丸

私が叙述トリックという概念を知らない中学生だったらおったまげていただろうが、もう数百冊読んでるような歳だし…残念ながらヘェ~フ~ン…という感想になってしまった。

老人と海ヘミングウェイ

人生から見ればほんの数日であるこのワンシーンが、あたかも人生そのものであるかのように読める。悲哀を中心としたその「うまくいかなさ」への哀愁が多くの人の心を打ち、名作と謳われてきたのだろう。

あまり(今の)自分に向けられた作品ではないな、という感想。

一方で文章としてはやはり精錬されており、無駄なものが一切ない。ともすれば冗長に仕上げたくなってしまう、こういった物語…人間の在り方みたいなものを、これだけのボリュームに削り込んだというのが多分ヘミングウェイの良さなんだろうなと思った。

第五の季節/N・H・ジェミシン

ほかの誰もが無条件で受けている敬意を、戦い取らねばならない人に

という扉前の言葉に背筋がスッとする。

寒暖乾湿の季節とは別に、生命にとって過酷な”第五の季節”が存在する地球。菌類の異常発生や火山噴火など様々な”第五の季節”が幾たびも起こり、生命が沢山失われ、僅かに生き延びたものによって文明が作られ、歴史が紡がれ、現在に至る世界で、地球とつながる力を持つがゆえに虐げられる”ロガ”たるエッスン/ダマヤ/サイアナイトという三者の視点で物語は進んでいく。

 

この世界のルール、存在、階級、そして”ロガ”の力、差別、等々ファンタジーとSFのはざまのような読み心地。独自の架空世界の創造において「この世界独特の罵声バリエーションが存在する」というのはなかなか面白い発想だなと思った。世界のルールが違えば憎み疎まれる存在も違ってくる。ウンコが最悪じゃない常識もあるってわけ。でも見慣れない罵声で感情のリズムが合わなくなるので、読み心地としては乱されるものがあり、全体のリーダビリティの足はちょっと引っ張ってしまっているなと思った。

 

どういう風に終わるのかな、地球ってことはSF的にこれが未来とかパラレルなのかなとワクワク読み進めていたら、完全にTo Be Continued…な台詞を残して終わってしまった。

第一部完なんかーい。

どうやら三部作らしいが、世界の謎と魅力的なキャラクター達の行方はかなり気になるものの、上述の微妙な読みにくさで手が出ないでいる。気が向いたら次を読む。

わたしたち異者は/スティーヴン・ミルハウザー

表題作が最高。終わりが良い、終わりの一文が本当に良い。

詳しくはこちらの記事で触れたのでそちらを読まれたし。

語り手が異常な小説が読みたい - 千年先の我が庭を見よ

 

それ以外では、郊外に建てられた巨大なショッピングモールがやがて街を飲み込んでいく(比喩)さまを描いた「The Next Thing」が非常によかった。イオンモールが近くにあり、休日は車でイオンモールにいくのが娯楽の一つで、でもトップバリュ製品はあんまり買いたくない皆さんは読むといいです。卑近で皮肉的なSFとして非常に楽しめます。

極めて私的な超能力/チョン・ガンミョン

韓国SFの短編集。ほんの3~5ページの極短篇も含めて10篇収録。

表題作も含めた極短篇はSF的エッセンスの聞いたラブコメ(男女の軽快な妙をそういうのだとすれば)が多く、個人的にはもっとこの設定で面白く長く読みたかったなぁという気持ち。極短篇なので、どうしても落語的なオチでストンと話が落ちてしまって「上手くやったなぁ」みたいな感想にたどり着いてしまうのが惜しい。

その他の短篇も、いかにもなSF的思いつきを物語にうまく納めたものが多い。SFの面白さを少しテクニカルに楽しむ、星新一よりも人間の生身の複雑さを踏み込んで描くSFの第一歩作品として読みやすいと思う。

個人的には発想+文章+ストーリーの全体の”上手さ”みたいなものの方が強く、全体的にあんまり印象には残らなかった。私はSFに刺激を求めているので、もっと感情とか理性にビキビキくるやつが好き。

チョコレートパン/長新太

今まで読んできた絵本の中で1番好きになった。

天国の神様にお土産を持っていけるならこれを選ぶと思う。

ノンフィクション

政治学者、PTA会長になる/岡田憲治

政治学者たる筆者が、小学校のPTAにて会長になり奮闘した記録。

とはいえ、決して改革の成功・失敗譚ではなく、またPTAという存在への賛否に関する論でもない。そもそもPTAは営利・公営の組織ではないので、活動に成功や栄光はないのだ、という主張から始まる。

もちろん無駄としか思えないベルマーク集めや、謎の上からの圧、前と違ったことをやることへの周囲の漠然とした不安、形骸化した伝統、紙紙紙紙、時代の流れ…という想像通りの「ネガティブPTA」も登場する。しかし、本書は「PTAとは自治である」が念頭に置かれ、政治学者として「自治とまず」といった組織の定義の話でスタートする。そして生きている”自治”活動に関わった筆者の、人間と人間による組織活動の(生々しく)瑞々しい記録が書かれている。

そして、どうあってもそこには全員の「みんなが上手く楽しく生活ができたらいいよね」の願いがある、ということを深く知るだろう。

責難は成事に非ず。

改革や改善によって軋む感情との付き合い方に悩む人や、PTAとの付き合い方に不安を感じている人にとって良書である。

漫画

片喰と黄金

19世紀中ごろのアイルランドのジャガイモ飢饉から、従者コナーとともにカリフォニアの黄金!ゴールドラッシュを目指すアメリアちゃんの物語である。

史実をベースにした架空漫画はつい歴史のお授業になりがちだが、そういった押しつけがましさはなく、一方で奴隷問題や先住民問題、飢饉などもきちんと描いており、歴史を学ぶ面白さと読みやすさが両立している。というのも、アメリアちゃんが悩んで立ち止まらないキャラクターなので(悩んで立ち止まっていたら死ぬ世界で生きてきたので)話がちゃんと前進し続けるのだ。魅力的なキャラクターもギャグの度合いも良い。

1話が下記で読めるのでお試しあれ

(なお、途中で連載先が変わり、7巻からコミックの発売元が変わっている)

片喰と黄金 - 北野詠一 / 第1話 アイルランド | コミックDAYS (comic-days.com)

コウノドリ鈴ノ木ユウ

産科医マンガ。医療マンガにしては台詞密度が低くて読みやすいんだが、「本当はこうですよ」の説明のための無垢なバカ役が毎話出てくるので精神衛生に良くない。(妊娠は女のコトなんだから俺に言われても分かんないよ~って言う夫とか)

あとは先天性の身体イレギュラーってこんなに、こういう風に出てしまうものなのかといった学びがあった。人間の設計図はまあまあ誤謬が多い、医療と科学の発達は凄い。

 

医療マンガはどうしても生死を扱うので、そりゃドラマになるだろみたいな、なんていうかこう感動への食わず嫌い感が強くてあまり読まないんだけど、これとフラジャイルはまぁまぁ読んでる。フラジャイルも病理医マンガで面白い。

次回予告

『最愛の子ども』

『血を分けた子ども』

『ループ・オブ・ザ・コード』

うたわれるもの最終章(アニメ)

TENET(映画)

 

アンダー・ザ・死

久々に水族館に行った。

大きな水槽で悠々と泳ぐシャチ、ウミガメ、でかい魚などを見て、やはり海は怖いなと思った。もはやイルカとかも怖いなと思った。

海が苦手である。

得体のしれない闇が数千万メートルも下に広がっているという事実、そしてそこに生命が、自分より遥かに大きな生き物が存在しているという事実が恐ろしい。私にとって広い海は、すぐそばにある死の裾でしかない。

船に乗るのなんか恐怖だ。ジェットコースターに乗るよりも、定期船とかで離島にいくほうが精神的なストレスは大きい。落ちたら死ぬ。下に死が広がっている。

 

ABZUというダイバーのような海の一族になり、海中遊泳を楽しむゲームをやったことがある。鮮やかな魚たち、優しく寄り添うイルカたち、ゆらめく海藻は幻想的だったが、天国的な虚脱でしかなかった。美しさは張り詰めた恐怖の裏返しだった。深海で自分より遥かに大きなクジラが横を泳いだ時に死を感じた。もうこれは死ぬべきだと思った。抗えない、抗ってはいけない。

 

昔はかわいいと見ていたイルカも、「いま地球のどこかで、この大きなイルカがゆうゆうと泳げるだけの広くて深くてとてつもない海が、そこにあり、そこではただヒトは死ぬだけの場所なんだ」と想像するための恐怖の導火線になってしまい、生き物としてまともに見れなくなってしまった。知識が想像にブーストをかけた状態である。

 

その夜、夢を見た。

そこは浜辺に立つ屋敷で、月明かりと常夜燈が庭を明るく照らしていた。大きな松のそばで足を止めた私は、縁側に座った当主を振り返った。夜の海に静かな波の音だけが聞こえる。彼が言った。

「海が見える家に住むもんじゃない。夜のさざ波は死にたいと思った気持ちを容易く拾いあげて死に誘い込む」

私は頷いて、屋敷を後にした。

火事場に白檀

本文

茫洋とした夕暮れに惑いながら赤信号で車を止めた。西の空が、最近見ない歯磨き粉みたいな色をしていて、右手に持った栗饅頭にわずかに力が入る。虫歯のような気がしているが自律神経の乱れのような気もしている右奥歯の痛みを思い出したからだ。

溜息。空はいつも思い出さなくて良いことばかり思い出させる。

信号が変わり、私はアクセルを踏んだ。

通常の二倍の大きさの栗饅頭を咥えながら、32号線を直進する。

上品な甘さが涎とともに口いっぱいに広がっていく。

 

火事場に白檀という諺がある。あることにする。

ある夜、ある男が異臭に飛び起きてみると隣家が燃えている。男は燃え盛る火事をどうにかしたいと思うが、どうにかできるだけの知恵も力も無い。それでも男なり考え、自分の家から白檀を持ってきた。そうして燃え盛る隣家の前に白檀を置いた。火事場に添えられた白檀からは良い香りが漂うが、家は燃え盛るばかりで火事の解決にはならない。

転じて、物事を良くも悪くもしないが無駄な善意を差して言う。

今の私はまさに火事場に白檀だった。

 

朝から5時間かけてドライブしてきて、20分でトンボ返りだった。

私が住んでいる町で一番の老舗和菓子店「みすず」は通常の二倍の大きさの栗饅頭が有名で、菓子折りにするとちょっとしたアタッシュケースみたいになる。包んでもらった箱を見たとき、これはいくらなんでもやりすぎかと心配していたけど、結局問題はそこではなくて、通常の二倍の大きさの栗饅頭が10個入ったアタッシュケースみたいな箱は車から一歩も降りることなく、帰りも一緒になった。来なければ良かったとは思わなかったが、来なくても良かったと思った。これって誠意だったのかな、ともぼんやり考えた。そうであってほしいだけかもしれない。

カーラジオからは何曲目だかわからないクリマスソングが流れていて、街はイルミネーションで煌めいている。ケーキ屋にはたくさんの車が止まっており、チョコレート店は長蛇の列だった。仕方なく立ち寄った土産物屋には、どこでも見るようなあんこ餅と鮎の甘露煮しかなかった。スバルはあんこがダメだ。鮎の甘露煮を2つ買った。今日選んだことは全部間違えている気がしてきた。助手席に鮎の甘露煮を置いて、少し考えてから、栗饅頭の詰め合わせの箱を開けた。大きな栗饅頭が10個、つやつやと綺麗に並んでいた。

私はその一つを丁寧に開けて、食べた。たぶんこれも間違えている選択な気もしてきたが、考えるよりも先に食べた。二つ目からは粗雑に開けた。そしてエンジンをかけた。

 

再び赤信号で止まり、窓を少し開ける。

夜が満ちていた。白く冴えた月と冷たい風の奥に、私の手のひらと同じくらい乾いた空が広がっている。クリスマスがダメになった、と詫びた私をスバルは優しく許してくれた。じゃあ今のうちに渡しておこうかな、と渡された黄色い薔薇のハンドクリーム。プレゼントでもないと君はこういうおしゃれをしないんだから、と笑っていた。私はスバルのそういうところに甘えている。好きだ、スバル。でもそのハンドクリームを、今朝、本棚の、後ろに落とした。自分の愚かさにハンドルを握る手が強くなる。栗饅頭がわずかに崩れた。饅頭屑が膝に落ちる。

空はいつも思い出さなくて良いことばかり思い出させる。

信号が変わり、私はアクセルを踏んだ。

この調子なら、日付が変わる前にはスバルの家に着けるだろう。

 

校正による栗饅頭の変移

菓子折りにすると、ちょっとしたランドセルみたいになる→アタッシュケースに変更

詰め合わせの箱は助手席の座面よりも大きい。→削除

綺麗に並んでいた→”つやつやと“を追加

こぼれた饅頭屑が膝の上で、まるで夜空の星みたいで→削除

総数を20から10に減らしました

 

語り手が異常な小説が読みたい

「信頼できない語り手」という小説ジャンルがある。

信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、英語Unreliable narrator)は、小説映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手ナレーター語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者観客を惑わせたりミスリードしたりするものである

信頼できない語り手 - Wikipedia

好きだな~そういう胡乱さ…。

 

でも私はもっともっと希薄なトラストを求めていて、語っている奴が人間なのか存在するのかどうかすら怪しく、言うなれば信憑性に欠ける信頼できない語り手の小説が読みたい。なんなら語っている内容の虚偽というよりは、存在の胡乱さの方を求めている。しかし読みた~い!と言ったところでインターネッチョの海で親切なウミガメが運んできてくれるはずもなく、自ら竿を持ち餌を撒かないかぎり得られないのである。

仕方ない、海老を撒きます。エビビビビビ…

BEST5

私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない/キャロル・エムシュウィラー

これは「私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない」という話である。”わたし”は”あなた”の生活に紛れ、屋根裏に住み、あなたの服を着て、時々一緒にテレビを見たりワインを飲んだりする。置いたはずのないグラスや天井の足音や消えた服に”あなた”は違和感とほんのかすかな恐怖を感じている。

*****

これが決してホラーの意図で描かれていないのが本作の特徴である。

語り手は自身の行動の痕跡が残ることも”あなた”へ影響も知っていて行動している。一方で、”あなた”の方はおそらく存在を認識しておらず、でも世界からみると”わたし”はたぶん存在している…ような気がするがやはりわからない。結果だけが常にそこにあり、そこに確かな感情を持っている”わたし”がいるのだ。でも「いる」って何?

 

エムシュウィラーという作家が、こういった信頼できない語り手による物語や全体像の見えない奇習や文化を背景にした掌編を得意としており、もし「胡乱な読み心地」を求めるならこの短編集はとってもおすすめです。

でも国書刊行会でちょっと読んでみるにはお高い…が、なんと米澤穂信先生がアンソロジーで収録してくださっております。

ちなみに、このアンソロジーは他も粒ぞろいでお勧め。

淵の王/舞城王太郎

よりホラーに寄せて、”舞城王太郎”による作品として仕上がっているのが『淵の王』である。

3部構成となっており、中島さおりを「あなた」、堀江果歩を「君」、中村悟堂を「あんた」と呼ぶ何者かによる語りでそれぞれの物語は始まる。さおりも果歩も悟堂も、語り手を意識することはなく、また語り手もノートを破ったりドタドタ歩いたりというような干渉はできない。存在しないのだ。でも、黒い影や真っ暗坊主や屋根裏に広がる闇の穴は存在する。

「わたし」たちは本当に本当に本当の愛を持って、彼・彼女たちを見ている。彼・彼女たちの決断を友情を人生を思い出を慈しみ、寄り添い、そして

俺は君を食べるし、食べたし、今も食べてるよ

”魔”に立ち向かう姿をずっとずっとずっと見守っている。

***

得体のしれないものに恐怖する、原始的なホラーとしての完成度も高い作品。現象としてあるため、存在を認めざるを得ない”魔”があることで、逆説的に、存在が不確かな語り手が「小説としての技巧なのか」「そういう存在が居るのか」という境界線上に立つ。その虚実のあわいの中で、生きている人間の、自分や他人の感情に向き合う精神があり、愛にたどり着くための果てしない熟慮がある。

 

個人的に、人生で読んできたもののなかでトップ3に好きな小説。

わたしたち異者は/スティーブン・ミルハウザー

私たち異者はあなた方とは違う。

ポール・スタインベック。住んでいたアパート。4歳の誕生日の思い出、8年生の頃の初恋、結婚、46歳の時の両親の死、52歳の9月の眩暈…そうしてある日の明け方近くに、快い軽やかな気分で目が覚める。

私はベッドにいて、私はベッドの外にいて、ベッドにいる自分を見ている。

そして”私”は<異者>となる。

 

わたしはしばらく彷徨い歩き、とある家の屋根裏に落ち着くことにする。家の主であるモーリーンは、やがて家の中のおかしさに気づく。彼女との間に会話が生まれる。(会話が?)やがてもう一人、アンドレアも家にやってくる。わたしは〈異者〉たちの会合に出たり、心地良い夜を味わったり、クローゼットの中に隠れたり、モーリーンの話を聞いたり、アンドレアを見たりして――

奇妙な同居と不穏な交流の果てに、そして降りしきる雨の中で、”わたし”はようやく<異者>という存在を理解する。

***

出自こそ幽霊のようであるが、生者と会話が出来たり、生前の自分へ無頓着であったり、また同類での会合があったりと、これは確かに<異者>の物語である。理解のために別の存在とすげ替えることはできない。

常にその<異者>たる存在の不穏さと、読者の常識とは相容れないその同居生活は、ホラーでもファンタジィでもなく、ただ認知のおさまりの悪い情報として読者の脳に流れ込んでくる。

<異者>とは何なのか?を解明する物語ではない。しかし、読み終えたときにどうしても<異者>とは何なのかを知ることになるだろう。

少女架刑/吉村昭

これは厳密には「信頼できない語り手」ではないかもしれない。語り手は死んだばかりの少女の死体である。

呼吸がとまった瞬間から、急にあたりに立ちこめていた濃密な霧が一時に晴れ渡ったかのような清々しい空気に私はつつまれていた。

死んだ少女は、自分の体が献体として医大生に渡されるところ、母親が香奠料とかかれた袋を面映ゆ気な表情で受け取るところ、そしてメスが頬を切り裂き、臓器が一つずつ標本にされ、骨が取られ、焼かれ、骨になるところ、骨壺が車で運ばれるところ、その全てを自らの視点でもって語る。

描写も感情も回想も、常にそこにある仰向けに横たわった死体から発せられているのだという確かな肉の冷たい重みがある。そして骨になれば骨の乾いた軽さだけが文体に残り、少女は(読者は)最後の一文で死というものの神髄を知ることになる。

 

死体が語り手という設定というよりは、この最後の一文による凄まじさが突出している。

 

なお、こちらもアンソロジーで読んだのでそちらでのリンクとした。

このアンソロジー自体、室生犀星『蜜のあはれ』、川端康成『片腕』…と幽世めいたフェティッシュの多いアンソロジーで、好きな人にはたまらないものばかりである。

ANIMA/ワジディ・ムアワッド

 女が死ぬ。それは過去になる。数多の動物達が観測している。殺された女に纏わる事実と会話が聞かれている。見られている。動物達の目と耳がある。人間の感情は置き去りだ。動物達は自らの宇宙と哲学とそして観測が物語を作ることに気付いてはいない。女の死はまだそこにある。

****

殺人事件が起こり、物語が動いていくのだが、それは周囲に存在する動物たちの視点によって描かれる。カラスからネズミへ、ネズミから飼い犬へ…遺族が悲しむ様子も、隣人が捜査官に語る情報も、読者はそれを目撃している動物の知覚を通して知ることになる。

複数のカメラが空間を作り、カメラの移動は時間を作る。小説の味わいというよりは、存在しない場所に仕掛けられた見事な舞台を眺めている気分になる。小説で空間そのものを感じたこと、ある?

ただ一方でその仕掛けの所為でストーリーの進みは遅い。映像をそのまま文章にしたかのような構造のため、情報量が膨大となっており、全体的に読み易いとは言えない。とはいえこの読書体験は非常に稀有なものだと思う。

その他

夏と花火とわたしの死体/乙一

 タイトルの通り、殺された死体のわたしが語り手。どこか他人事のように進む事実の中で、死体による語りは常に滑稽なホラーを内包する。

点対/Murashit

 『新しい世界を生きるための14のSF』収録。信頼できない~に分類されない気がするが、語り手が同時に二人存在するという実験的な小説。読みにくいが、そこも含めてこれは小説というよりも芸術作品の一種として楽しむものであろう。

待ってます

上記ラインナップは「信頼できない語り手である」というよりも「語り手が異常」という部分に重きを置いて紹介した。異常性は人外や死体であるという設定よりも、読み心地から浮かび上がる語り手としての存在感を優先している。私の好みである。より幅広く集めたかったので、TOP3ではなく5とした。

 

ということで、こういうの感じの語り手小説をご存知でしたら、本ブログのコメント欄やTwitterなどで教えてください。

浜は祭りのようだけど・御礼

想像以上に外洋からドシドシ魚が押し寄せて、オロオロしていました。嬉しい悲鳴です。Twitterはてなブックマークのコメント、ブログコメントなどで教えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

こんなに集まると思っていなかったので、以下にてとりあえず自分用メモとして、各所からピックアップしたものを一覧化します。これは本記事の趣旨への正誤を判定したものではありません。図書館・本屋での参照用メモみたいなもので、個人的に気になったものを記載しています。例えば、私は怪談やホラーが苦手なのでココには挙げてません。また、見落としも当然あります。ご容赦ください。

そして、一覧化はしますが、該当本インフォメーションはいつまでも募集中です。いつ来ても嬉しいよ!よろしくお願いします。

釣果‐2022/12/21更新

メモ作成にあたって

・私が既読、ネタバレに繊細なジャンルっぽいものなどはなるべく除外した。

・簡易な紹介文を書いて下さっている場合、タイトル直下に引用させて頂いた。引用元IDを載せていいかよく分からなかったので省略させて頂いておりますが、強い感謝の念を、あなただけに送っています。ビビビ…

・()内はその短篇を収録する本のタイトルである。もちろん他で収録されているケースもあろうが、検索で見つけやすかったものを採用した。

【日本】

最愛の子ども/松浦理英子

主人公たち「以外」の「わたしたち」によって語られる一人称複数視点の物語。読者は徹底して傍観者であり、真に主人公たちに何が起きているかは想像されるしかない

殿/森福都(『長安牡丹花異聞』)

田紳有楽/藤枝静男

語り手の事情/酒見賢一

独白するユニバーサル横メルカトル/平山夢明

語り手は地図

ホテル・カクタス/江國香織

帽子ときゅうりと数字の2が語り手の物語

爪と目/藤野可織

娘が母のこと、自分の生い立ちを語る話なんだけど、冷めきったトーンも、子供の視点では知りえないようなことまで語られるあたりも不気味な話

【海外】

私たちが孤児だったころ/カズオ・イシグロ

REM/ミルチャ・カルタレスク(『ノスタルジア』)

語り手が形而上学的寄生生物のように描写され作中人物に寄生したり単独で移動したりする

夜の海の旅/ジョン・バース(『短篇コレクションⅠ』世界文学全集 第3集/池澤夏樹 編 )

頭突き羊の物語/マーク・トウェイン(『バック・ファンクショーの葬式』)

レ・コスミコミケイタロ・カルヴィーノ

グロテスク/パトリック・マグラア

悪童日記アゴタ・クリストフ

ケルベロス第五の首/ジーン・ウルフ

すべての火は火/フリオ・コルタサル

【小説以外】

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ/木下龍也・岡野大嗣

あとがき:つまり立ち去る彼・彼女らについて

思うに、この異常性を際立たせるものとして、最後の一文がぞっとするほど心に残るという特徴がある。

物語の終わりが上手い。それはつまり、これらの「信頼できない語り手」たちの舞台からの退出が印象的ということだ。彼らは現れることなく始めから舞台に立っている(不可視の/幻視の)存在である一方で、物語の終わりには語りを終え、確かに消え去るのだ。”存在する”とは何だろうか?私たち(そう、読者である私たちだ)は、読書という音も絵も得られない舞台の中で――それが――消える瞬間にだけ、存在を認識できる。

信憑性のない・信頼できない・胡乱な語り手たちは彼・彼女らが立ち去る瞬間に、「確かにそれが存在した」と残される私たち読者への認識に爪痕を残していくのだ。

 

 

kiloannum-garden.hatenablog.com

 

綾波レイはポカポカするとか言わない

綾波レイが「心がポカポカする」と言った違和感について10年くらい*1考えてたんですけど、最近幼児を観察する機会があって、言葉にできない未知の感情を表象する時に擬音を使うのはむしろおかしいのではないかということに至りました。

 

説明します。


日常会話における擬音は、基本的には既に用法の決まっている様相に対しての言葉の圧縮です。(いま小説や漫画において擬音を文字通り音として表現しているケースの話はしてません。)

ポカポカは温かい音だし、ツルツルは滑りやすい音だし、フサフサは毛が沢山ある音です。

そのイメージの共有には、文学的コンセンサスが取られているわけですね。


会話や本や歌でそれを学んでいくわけですが、幼児はコンセンサスが取れてない上に語彙が少ないので、未知の感情に対しては結果としての快・不快くらいしか表現できません。

これは自分も馴染みがあって、病院で「ギューッと痛い?シクシク痛い?」みたいに聞かれてもギュー?シクシク?みたいな気持ちになったことがありました。シクシク痛いのシクシクは未だによく分かってません。

 

擬音は語彙の乏しさや拙さを表すことが出来ますが、ある程度「何が圧縮されているのか」のイメージを持っている前提になります。よく感覚派のキャラが擬音だけで会話を進めようとしてくるのはそういうことです。

語彙の拙さは感覚の乏しさと必ずしもイコールになりません。むしろイメージの所有を裏付ける行為であり、操る言葉はキャラクタの日常的な思考スタイルを表します。 

「温かいことは知っているが温かいという言葉が出てこなくてポカポカって言っちゃう」が綾波の脳としては正解であり、「温かいことがよく分からない」ではありません。

 

そうです。つまり、

「お前ポカポカとか言って分からんふりしとるけど、ポカポカ=温まる、心が温まるってわかっとるやんけ!綾波レイは言葉少なな美少女なんやから、わざわざポカポカなんてコミカルな擬音使うわけないやろ!」

の気持ちです。

お疲れ様でした。

*1:体感で10年なので本当にポカポカから10年くらい経ってるのかは知りません