お前の枕元にサンタクロースは来たか?来たけどプレゼントは置いていかなかっただけじゃないのか?

緊急車両が走ってきた時に、他の車がきちんと道を譲るのを見るのが好きだ。

あれは、美しく染み渡ったマナーとか慣習というもので、今まで譲らなかった車を見たことが無い。通勤時間の込み合った大通りでも、なんとか少しずつ道を空けようと何台もの車がぎこちなく端に寄っている。素晴らしいと思う。

人間の善性を見るのがとても好きだ。

道徳で意識的に培われた優しさとか思いやりのようなものではなくて、精神性に根付いた善性が美しい。

 

LOLというオンライン・マルチプレイのゲームがあって、マッチングした4人の仲間と5vs5で戦う。当然知らない人達とのチームプレイなので、上手くいかなければ罵声が飛ぶこともあるし、ふざけてワザと負ける馬鹿もいる。(このあたりはコミュニティでも問題になっている)全てのプレイヤーはこの不快な思いを必ず味わっていて、故にこのゲームが嫌いになる人も多い。でも一方で、そういう腐海の土壌で美しい善性に触れることもある。下手でも励ましてくれたり、上手いプレイを褒めてくれたり、楽しもうとフレンドリーに接してくれたり、「イイひと」はいる。

このゲームの醍醐味はその「たまに味わえる人間の善性」にある、と思う。

勿論、純粋に自分がゲームを上手くプレイすることが楽しいという人もいるだろうが、残念ながら味方の運というのは士気としても勝敗にかなり影響する。罵声を撒き散らす超技巧のプレイヤーよりは下手でも善なる人間と組みたい。そしてそのゲームの真髄に気付くと戻れなくなっている。

そう、このゲームは「たまに味わえる人間の善性ガチャ」ゲーなのだ。

SSRひきたいな~~~って思うじゃん!?善性の!

 

清貧が美しいのは、貧しい中で清くあることが難しいからで、

このゲームにおいての善性も同じく、その希少性から美しさを放っている。

その人の精神性に呪いのように根付いた善性だけが、このゲームでは生き残っていけるのだ。たまに見える善性を味わいたくて何度も何度もマッチングさせてしまう。射幸心だ、射幸心を煽ってくる。

私は人間の善性を見るのが好きだ。

 

冗談のような話の展開になってしまったが、もう少し続けよう。

同様の理由で、墓場が好きだ。

以前から墓場が好きだった。実は数年前に記事も書いている。

kiloannum-garden.hatenablog.com

恐らく「墓場を綺麗にしておこう」という意識にある善性が好きなのだと思う。綺麗な花が活けてあったり、小さな道が掃除してあったり、道具がまとめておいてあったり、そういう「良くしておこう」という慣習に埋め込まれた善性を感じるからだと思う。

ただ、「墓場が好き」という感情が先にあって、理由は複合的なのでこれだけが理由ではないと思うのだが。

 

なんとなく「ああ良いな」と思うことはあるが、それを解き解し言葉でまた編もうとするのは難しい。