ペルソナ5---世界への没入感がもたらす幸福と地獄

 

ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4

  • 発売日: 2016/09/15
  • メディア: Video Game
 

ペルソナ5を始めた。

世間ではP5Rが出ているが、今更ながらペルソナ5(PS3)をプレイしている。我が家にPS4はありません。

今はもう5人目のパレスでオタカラを盗んだところだ。これからどうなるんだろう、佳境である。

 

 RPGはゲームという骨をどれだけ物語の肉の中に隠せるか、というのが没入感における全てだが、その点においてペルソナ5は至高の位置に立つ。一プレイではなく体験が作られていくのだ。

戦闘からダンジョン捜索パートに切り替わる時のresult表示、メニュー画面表示といった機能面での世界観への配慮から、要所にある「自ら選択して人生を進めている」と思わせる主体性への適度な刺激。

「心を盗む」という攻略におけるメインテーマも、単調な繰り返しではなく、切り口を変えてその深層を考察させる構成になっている。

「ゲームで遊んでいるのだ」と思い出す隙がない。

プレイ中の緊張感が、責任感が、快感が、義侠心が、疑念が主人公…ジョーカーと混じり合い、“私”の体験が作られていく。

今日は何しよう?これはどういう事なんだろう?明日は誰と過ごそう?

嗚呼!私は今、確かに学園生活と怪盗生活の二足の草鞋を履いている…!

楽しい、最高に楽しい!!

そう思ってずっとプレイしていた。

 

でも春が終わり梅雨が明け夏が来て、秋になり、

だんだんと没入出来なくなってきた。

 

何故か…?

 

ジョーカーがかっこ良すぎるのだ。

 

敵に包囲された中を囲い崩しで脱出する時のフィンガースナップ。

障害物にジャンプするときの軽やかな身のこなし。

バトンタッチのときのふっと不敵に笑う表情、しぐさ。

仲間たちが寄せる信頼。飄々としつつ、たまに見せる子どもっぽい感情。

 

気付けば私の心はジョーカーを離れ、ジョーカーを見ていた。

コープ活動も、最初は「コイツと仲良くなろう」「この人のことをもっと知りたい」という気持ちでやっていたのに、だんだんと「コイツといる時のジョーカーの表情がみたい」「この人と過ごした時のジョーカーのことを知りたい」という気持ちで進めるようになってしまった。

 

そう、ジョーカーの事を好きになってしまったのだ。

私が、ジョーカーを好きになってしまった。

 

恋とは自分でないものを好きになるその心を言う。恋をしてしまったならそれはもうあなたではない。恋とは感情の同化である一方で、心は異質なものである事を明確にする。

私が……否、ジョーカーが私ではなくなっていく。混じり合っていたものが分離されていく。

そうだ、私はジョーカーになりたいんじゃない。彼の傍で彼を見ていたいんだ。

混ぜてくれ!その青春の中で脇役をやらせてくれ!

杏が笑い、竜司が頷き、真が微笑み、祐介が見つめ、双葉が手を伸ばす。こちらに向かって。

私に、向かってだ。

……私の居場所は「ジョーカー」でしかないのだ。

 

切なく、苦しい。好きになるほどに、少しずつジョーカーと私が乖離していく。物語が“私”のものではないということが露わになっていく。

ゲームはなおも素晴らしく、自分がジョーカーであれば本当に楽しめるであろう世界に引き込んでくる。面白さは加速度的に増加していく。

でも恋心がそれを苦しめ、引き裂いていく。つらい。

好きだ、ジョーカー。

私はその隣に立ちたかった。

 

 

私はもう主人公になれない。ただのプレイヤーだ。

Take  your heartと書かれた予告状を横目に、私は胸の痛みを抑える。

 

 

……ジョーカーが女性だったら、こんな想いを味わわずに済んだのだろうか。

 

ペルソナ3ポータブル PSP the Best

ペルソナ3ポータブル PSP the Best

  • 発売日: 2011/08/25
  • メディア: Video Game
 

P3Pだ。

ペルソナ3は同じく男主人公のPS2ゲームだが、PSP版になった時にオリジナルに加え、女主人公版でも楽しめるようになった。当然、シナリオの要所と展開は殆ど同じだ。ただこの「性別の違い」が見せる体験は、予想を遥かに裏切る面白さがある。

 

ペルソナシリーズは、いわゆるダンジョン攻略的なRPGモードと学園生活というシミュレーションモードが表裏一体となり、お互いに影響力を持つというシステムが一番の魅力だ。日常生活での友人との関係性の深度はそのままRPG戦闘における強さに影響する。この「日常生活での友人との関係性」が、男女でこうも違って見えるのかという所が非常に面白かった。

男女で交友関係が多少変わるのだが、ストーリィのメインメンバー(戦闘メンバー)と交友するのは変わらない。そうすると、男主人公では親友だった順平君が、女性主人公では「友達以上恋人未満」の距離感に変わっていく。もちろん態度も変わる、こちらにかける言葉も変わる。逆に女性同士なら恋人ではなく親友になる。「君だから話せるんだよ」と言われた時、自分が男性である・女性であるときで自分が読み解くその言葉に含まれる感情、自分が期待する関係性、自分の想いが変化する。このプレイヤー側における意識の変化は「関係性の構築が主人公の力になる」というペルソナシステムにおいて非常に核心的(革新的)だと思う。

残念ながらこの男女主人公システムはP3Pのみで、のちのP4、P5では続編も含めて採用されていない。しかしながら、この”違い”が齎す世界の見え方の相違こそが”ペルソナ”であると思う。

 

そして、女性主人公だったなら。 

きっと「女性である私」に笑う祐介や微笑む竜司を好きになれた。

杏と真にヤキモチを妬かずに、親友になれた。

黒ロングコートが似合っていてフィンガースナップが様になるかっこいい“私”になれた筈だ。

 

ペルソナ6ではぜひ採用して欲しい。

ATLAS殿、よろしくお願いします。

 

ペルソナ5の中は10月。

疼く恋心に身を刺されながら、クリアまでプレイする。甘い地獄だ。

あとどれくらいこの切なさは続くのだろう。