『すずめの戸締まり』感想

ネタバレをします。

良かったところ

・題字の演出(OP)

涙で滲んで見えなくなるようなフェイドアウトはこの映画を端的に表しており、心が震えた。
・ルルル…の歌

・鍵を閉める、というテーマの動作が映画を通して意味が変わっていくところ

序盤と終盤で同じシーンになるのも良い。戸締り、というのはこれから出発する人の動作であり、鍵を動かすことで自転車/車が走り出すというシーンが明喩になっている。『すすめの戸締まり』はすずめの閉じ師体験という意味から、すずめの人生にとっての出発という意味に変わる巧い演出、タイトルだなと思った。
・移動手段が全種類出てくる

これが一番良かったなと思う演出だった。日本という大地がどういう場所なのかというのを無意識に感じることができる。正確には飛行機が出て来なかったけど、これは大地にまつわる話なのでそれは違いますね。

・芹澤君の喋り方

後半、芹澤くんのおかげで沈鬱さのないエンタメとしての映画に持ち堪えており、素晴らしいキャラクタだなと思った。たぶんこの映画はエンタメであることに価値があると思うので。

・ループ設定

自分が立ち上がるきっかけを作れるのは究極的には未来の自分だけである。

悪かったところ

・恋

恋に落ちる過程が全然ない、雑に落としすぎである。

・震災の解釈

震災の解釈は全く納得いっていない。どちらかというと、この部分について私は怒っている。

現実の災害を描くならそれを「神の怒り」として描くのは駄目だと思う。それをやるとその土地で暮らす人々の怠慢が災いを招いたと導かれることになるからである。大地に住んでいる以上避けられないものである、という根底があるのが自然災害であり、事故や人災とは違って「どうしようもなかった」が遺された人にとってのある種の救いでもあると考えている。

だからもしかしたら大災害が止められたかもしれない、を描いちゃ駄目だし、それでいて「生きていこうよ」を描くのはあまりにも、めちゃくちゃじゃないか?という気持ちだった。

テーマについて

草太を助けたい理由は恋では無かったはずだ。「死ぬのなんか怖く無い」「私大事なことしてるの!」から読み解けば彼女は「地震をとめる」ことのヒロイックに酔いしれている。自分が代わりに要石になるのは本望だっただろう。でもそれは被災者として、ある種の贖罪のような、或いは過去の自分を救うかのような行為に溺れているのであって、馬鹿にすることはできない。その心の在り方を、私たちは大事な人のことを思い出しながら見つめることになる。そうだね、きっと私もそうするし、そういう気持ちになると思う。私だって、扉を締めてみせるよ。

贖罪を求めるものにとって自己犠牲は美しい赦しになる。

でも現実は、というか周りにいる人達は全然そんなことを求めていなくて、「また会おうね」が一番求めているものなのだ。それは鬼のようにLINEを送り続けて追いかけてくる叔母さんだったり、たまたま会って恋バナをしちゃった女子高生だったり、一緒に変な焼きうどんを食べたミセスだったりが、ずっと思っている。

「会えてよかった」と奈落に堕ちていく草太と対照的である。

だからこそ、「死ぬのなんて怖く無い」を救うのは「また会いたい」であって、この映画では初めてすずめが自らそれを願うことによって「生きたい」に繋がっていく。

 

中盤まではそういうふうに読んでいて、そういうのをもっと描いて欲しかったのだが、なんか、恋になってしまったことでスゲー分かりにくくなったなと思った。しかも成就した恋であるがゆえにもっと分かりにくくなった。扉の設定もそれにまつわる現象も旅程にあったものも全てがこの祈りを描くためのはずなのに、恋にまとめたことでボヤけてしまった。

 

「閉じる」際の記憶の奔流として扉とともに描かれるのは「いってらっしゃい」「また〜したいね」であり、それこそが生きている者たちの間にある気づかないほど小さな祈りなのだ。

でも祈りというのは愛であって、天や神に通じる言葉ではない。祈っていてもどうにもならないものはどうにもならない。たとえば、天災とか。

ということを踏まえすぎており、現象を描きたいのか、人間の間にあるものを描きたいのかがどっちつかずで中途半端である。この監督、祈りを描くには天とか神の側に立ちすぎているんだよな。結果的に鑑賞後に残るものが鑑賞者の個人的な共感に依存しすぎている。

 

テーマは凄く良いのに読み解きにくく、過剰に共感に寄せすぎており、評価に困る映画だな…と思った。