乙女ゲームの甘い沼でヌルルンヌルウン(2回目)

これまでのおはなし

乙女ゲームの甘い沼でヌルンルルしていた - 千年先の我が庭を見よ

前回『ニル・アドミラリの天秤』という乙女ゲームをやってキャッキャ喜んでいたところに、同製作陣の『オランピア・ソワレ』なるゲームがあるとの情報が入った。嘘だ。そんなもの勝手に入ってくるような環境にはない。自分でオトメイトのサイトをチェックして自力で掴み取った。買った。

レーティング17と18の間にある文学という美しい壁

このゲームは、「島に1人しかいない特別種の箱入り娘の少女に、種の保存を理由に周りから交配相手(夫)を決めるよう命が下る」というのが設定だ。エロい。何をどう足掻いてもハッピーエンドにはベッドが見える。エロい。でも18禁のゲームではない。ど、どうなるんですか?

非常に文学的なシーンになります。

所作は全てが描かれるわけでもなく、感情も欲情も比喩的に描かれる。言うなれば、神の視点で見えない部分は描写されない。スカートの下の太腿を這う長い指は、スカートの中に入ってしまえば描写されない。しかし神の眼でのみ見える部分、心裡については存分に描写される。興奮は血の流れではなく感情の流れによって描かれる。神経の効果ではなく、精神の結果が描かれる。これぞ官能。

17と18の間の美しく厳かな壁がそこにはある。

 

貴方と世界を知っていく

このゲームでは共通ルートという序章が終わった後に、攻略したい男性を選び、先にルートに入ってから選択肢を選び続けてハッピーエンドを目指す構造になっている。意中の男性のみが頻繁に登場するため、恋心が分散されず、快適にプレイすることができる。

同時に、各ルート攻略で明かされる世界の謎というものが上手く断片的になっており、全員攻略すると創世や理などの世界観の全容が分かる。キャラクター攻略の一方で、この謎の「どうなるんだろう?」の面白さが強く、没頭させる作りになっていた。それがまた、キャラクターの抱える問題とも深く繋がっており、「貴方を知る」事がそのまま「世界を知る」事になる。好きな人の事を知りたいからちゃんと世界と関わっていくっていうのは素敵だよね。

また、好みではないキャラクター、プレイのモチベーションが無いキャラクターでもこの「謎」のお蔭でプレイできる。そしてやはり全員プレイしたあとに得られる全容への知は快感である。これは別に乙女ゲームに限ったことじゃないね。

 

ただ、そういうストーリィの妙は、また別の欠点も生み出す。

プレイヤーは男性と世界の両方から情報が与えられる。彼の好きな場所、過去、背負うもの…を知る一方で、世界にある差別や土地の呪いを知ることになる。知るための行動をとり続ける。それはつまり、ずっと恋の駆け引きをしてれば良いと言うわけではなくて…世界によって1人の男性だけを見る時間(シナリオ)が圧縮されてしまっているのだ。

少女の「箱入り娘で恋愛に不慣れというキャラクター」と「恋愛部分シナリオの尺がないので駆け足で距離が縮まる」という都合が鬩ぎ合い、貞操感が歪なキャラクターにはなっている。

 

更に言えば、この『オランピアソワレ』は主人公が男性慣れしていないのに、攻略対象も恋愛慣れしてない年下キャラみたいな男性の方が多く、そういったあたりも歪だな〜と思った。

艶っぽい冗談を飛ばす柔かな年上の男性、というキャラクターもいたが、何故か途中から姉がいることが判明して、最後に「姉さん…!」と泣き始めてしまったので若干冷めてしまった。姉を求めないでくれ。もっと私を手の上でころころしててくれ。

言うてまぁcv杉田智和さんのカッコイイキャラ(玄葉)がめちゃくちゃ好みで最高だったな〜というのと、杉田さんの声好きだな…という部分で大満足出来た。しばらくYouTubeでAGLSチャンネル見ちゃった。やっぱりゲームの面白さも大事だけど「好みの声でいっぱい喋ってくれる」が最高だな。この調子で声優でゲームを選んでいきたい。津田健次郎さんとか聞きたいな。うーん催眠音声か?催眠音声の機運が高まってきたのか?

 

あと「手に入らないなら殺して俺も死ぬ」タイプの手練れっぽい年上が好きなことが分かってきた。「一緒に死のう」とか言わずにグサッとやるところがいいよね。死ぬ決意なんて私に求めないで欲しいんだ。手練れっぽい、というのは口説き慣れしてるというより、多分自分の中の感情とに付き合い方が上手い人が好きなんだろうな。ア〜ンンン〜〜〜〜〜

Happyの生まれ出る闇

シナリオが同じ人…というのもあるんだけど、『ニルアドミラリ』同様にこちらも「女性の地位が低い社会」が背景となっている。前回の記事では「女主人公の優柔不断な態度へのエクスキューズが上手い」と書いたが、どちらかというと「異世界転生ストーリィ的な快感」の惹起にあるなと感じた。

「女性が、地位が弱い社会の中で、存在が無視できない身分を持って、自身の意識で社会に改革を齎す」というハッピーエンドストーリー。それは、異世界転生で「持たざるものが環境一新してチートスキルで上位に立つ」というあの快感に似たものがある。現実の社会では個人の努力では一朝一夕では成し遂げられぬ成功の擬似体験、と見ると些かグロテスクだが、需要とはそういうものだ。皆が求めるものには理由がある。

ま、勧善懲悪だって同じだ。

 

少女という器が受け止めるもの

これは少女漫画でも乙女ゲームでもそうなんだけど、働いている女性を「OL」と呼称するのはもはや時代遅れだと思う。社会生活における性差は撤廃の方向に向かっている。

乙女ゲームのレビューを見ていると、マイナス評価では「主人公に共感できない」「主人公の性格がうざい」みたいな意見が散見される。没入感がその快楽を大きく左右するゲームにおいて、「自己投影しやすい女性」というものを追求するなら、社会にある価値観を絶え間なく更新していく必要がある。社会の進歩が加速している今、乙女ゲームもこれからもっと変化していくだろうな、と思う。

まぁでもそれと「男性からお姫様扱いされたい」は別だ。それは嗜好の話なので。

鬼畜眼鏡上司が好きだろうがドM生徒会長が好きだろうが、個々の嗜好を全て社会の解読と直結させてはいけない、と思う。作品一つを取り上げてそこから社会を読み解こうとするのって暴論じゃない?そういう嗜好に向けて作られただけの作品かもしれないのに…。このあたりは昔もう書いたな。*1

 

結局、「女性主人公が変わる」というよりは、多様性を重んじる社会になったので「少女の性格の背景」をきちんと説明しないとプレイヤーは「自自己投影できないゲーム」としてどんどん切っていくんじゃないかと思っている。

突然少女が出てきて「毎日仕事疲れちゃったなナ」「新学期が始まってドキドキの学園生活!」で始まった時の「少女の性格」に共通して持っているイメージが存在しなくなってしまった*2ので、より個性がない少女か、まず少女の成り立ちを描く序章のボリュームが増えるかしていくのではなかろうか。(このオランピア・ソワレは後者だ。)

つまり、アイドルマスターズやFGOのように主人公が希薄になるか、key作品や戦国ランスのように「そういうキャラクターとしてのなりきり」での異性とのキャッキャゲームがウケていくのかな、とも思う。前者は解釈の余地が無限大なので二次創作が捗るし、後者はニッチな嗜好に応える作品が出てきやすくるからどっちも良いよね。

 

 

秋にはときメモgirls sideの新作が出るというし、Switchを手に入れてすっかり乙女ゲーム情報を積極的に追いかけるようになってしまった。まぁ、情報って追いかけたりしてる時が一番楽しい。

前回ワイワイ言うてたが、まだ『ニル・アドミラリ』の続編も未だやってない。クリスマスまで積極的に善行を積んでいる。え?早くやりたいけど、やってしまうともう二度とやってない状態になれないのでやる勇気が出ない。わかる?

まぁ引き続き乙女ゲームを楽しんで行こうと思う。そして乙女ゲームレビューも続けていこうと思う。

 

 

*1:物語の美しい少女という呪縛 https://kiloannum-garden.hatenablog.com/entry/2020/07/23/185313

*2:アンジェリーク・ルミナライズは女性のその感じが辛くなって体験版さえすぐやめてしまった。