頑張るのは風と熱に任せておく

最近はお菓子を焼くのにはまっている。

山積みのカップケーキ ぜんぶ食べた

『眠れぬ夜はケーキを焼いて』というエッセイ漫画を読んだのだ。これはタイトルの通り、生活が少し不規則な作者が、真夜中に虚無が寄り添ってきてしまったときに、ぼんやりとお菓子を焼いてやりすごす日常の話である。

眠れぬ夜はケーキを焼いて | 連載 | コミックエッセイ劇場

だから誰かのために焼く特別なケーキなんかではなく、自分で9個食べるための手順がシンプルなお菓子だけが載っている。

エッお菓子って粉と砂糖とバターと卵混ぜてオーブンに突っ込むだけでいいんだ!?あと片付けのラクさも考慮されている。そうそう、お菓子作りはさぁ計ったり片づけたりが面倒なの。でもそういうのじゃなくて、本当に「外に出たくない、買いに行くのも面倒だから作ろうか…」という菓子作りが載っているのだ。

私も大学生のころは夜更かしが大好きで、よく深夜にジャムを煮ていた。深夜に甘いものを煮ているとき独特の恍惚感ってあるよね。そう、時間を優しく使っているな~という気持ち。何かが出来上がるまでの時間って「生産的」でとてもポジティブな気がする。これは自堕落な自分を慰めるのにとても役に立つ。

だからケーキを焼く、というのがこのエッセイ漫画だ。わかる、わかるよ。

 

私はそれを干し野菜で学んだ。

季節の変わり目に強い風が吹く。どうにかその風をうまく使ってやりたいなと思い、芋とか大根を干すことにした。干し野菜は簡単で、三百円ショップで干しネットを買ってきて、野菜を切って並べて、洗濯物のとなりに干しておくだけで出来上がる。

芋は蒸かして厚めに切る必要があるが、大根や人参は切るだけだ。

その日いちにち何もしなくても、そう天気の良い日特有の「せっかく晴れてるのに何もしてないダメ感」に襲われても、なんと、

野菜は乾いている

のだ。イエイ!

人生をうまくやりすごしていくコツは、こういう小手先のポジティブで時間とか感情をよしなにやっていくことにある。基本的に、人生は、頑張ってはいけない。(疲れるから)頑張っているふりをしよう。

 

 

目下はこちらのレシピ本(これもだいたいホットケーキミックスで出来て簡単でよい)でいろいろ作って楽しんでいる。今朝はクレープモーニングをした。好きなだけホイップクリームをのせて安い苺ものせて3つも食べた。うまかった。

楽しくなってシリコンのマフィン型を百均で買ってきた。どんどんカップケーキが焼ける。イエイ!(カップケーキとマフィンの違いはあんまりわかってない)チーズとオリーブオイルで甘くないカップケーキも作る。ふむ、悪くない。

美味しいものが焼けるいい匂いが部屋に満ちている。

私が休んでいる間に、風と熱が代わりに何かを生み出してくれている。

群れによる語りと鮮やかな日々『最愛の子ども』

あなたにもあるでしょう?

「俺たちって変だよな」「あたしたちって何やってんだろうね」と悦に浸りながら、自分と”仲間うち”の中でゆるゆると自他の境界線を溶かし、一方で”他の群れ”との境界線を鮮明に引いていたこと。

そして、その薄くて柔らかく心地よい無自覚な皮膜を、

今になって、

(寂しく)思い出したことが…。

 

「主な登場人物」という章題で始まる私立玉藻学園高等部2年4組の放課後である。

女子高生らしさ、という課題に些か挑戦的な作文を提出し、職員室に呼び出された真汐。級友たちは、彼女のそういった性癖に苦笑とも憫笑ともつかない曖昧な笑いの混じった溜息を捧げ、それぞれがお喋りを始める。恵文、美織、由梨乃、希和子…闖入者たる(名も無き)男子たち…そして日夏と空穂。

 

本書の特徴は「わたしたち」というその語り手は存在するものの「わたし」は存在しないことにある。

わたしたちはわたしたちは、で語られる夕暮れの教室の彼女たちの行動・思考・戯れの数々。だが、そこに”わたし”という存在はない。「わたしたち」という滑らかで薄く、しかし確固として存在する、私立玉藻学園高等部2年4組の”群れ”。

ここで「わたしたち」という主語が使われていることに関しても、自分は「わたしたち」の中に入れてほしくない、安易に「わたしたち」なんて言うな、と不満を抱く者もいないとは限らないのだが、そんな不安につきまとわれながらも、わたしたちは小さな世界に閉じ込められて粘つく培養液で絡めあわされたまだ何物でもない生き物の集合体を語るために「わたしたち」という主語を選んでいる。

文中に「わたし」の主語で語られる文章は存在するものの、それらは他の登場人物たちの想像の範疇であることが強調して描かれる。読者は、存在しない私立玉藻学園高等部2年4組の一人になるわけではなく、彼女たちひとりひとりの裡に存在する”わたしたち”の意識が発する語りを、聞いているだけなのだ。

 

ありきたりな日常が流れている。

中睦まじい真汐と日夏と空穂の3人は、みんなからは「わたしたちのファミリー」と呼ばれていて、彼女たち自身もその呼称を甘んじて受け入れている。同級生たちは「わたしたちのファミリー」の観測をを一つの娯楽としているし、愛してもいる。もちろん彼女たちだって「ファミリー」たらんとして振舞っているし、お互いを愛している。

 

蛇口をひねるような愛に溢れている場所。

そこでは、他人への感情が個性である。寄せ/寄せられる好意と、他人の個性に傾倒していく自我があり、葛藤と抑圧と嫌悪があり、踏み込めない孤独がある。

周囲との好意的な関係性の中でも、どこかで自分の立ち位置を認識し、キャラクターを演じている。演じる中で役割があることに安堵するし、キャラクターゆえの周囲からの赦しもあるし、予定調和という平和もある。

「主な登場人物」と自らたちを振り分け、舞台上に立つ連帯感に酔いしれる彼女たち。

それは、優しく滑稽な幼いままごとである一方で、忍び寄る社会性への冷酷な予行練習でもあるのだ。

でもそんなことも、彼女たち、否…“わたしたち”は分かっている。

刹那的な日常の先に、人生だの将来だの、周りには他人だの常識だのがあることもきちんと分かっている。

それらと上手くやれないことだってたくさんあるということも。

「日夏は踊れるもんね」
「でも自己流だから」
すると真汐が言った。
「自己流でいてほしいな。既成のステップなんて憶えないで」
日夏は真汐にだけ向ける例の優しい目をして応えた。
「憶えられないよ、きっと。わたしも器用じゃないから。」

そして何よりも(その時代を過ぎ去った者にとってはあまりにも明白なことだが)

そこにいるすべてが楽しいということに気付かないまま鮮やかな日々を送っている。

 

 

『ループ・オブ・ザ・コード』―感想メモ

★部分

・ポスト伊藤計劃、ポストコロナ文学としてはド直球だが、それを御せるだけの手腕がある。台詞回しも展開もCOOL

・とにかく主人公の、人生で煮詰まれてきた感情の描写がうますぎる。

・取り扱っているテーマが多いのに、それをこの一冊に上手くまとめ上げているのは凄い。

・テーマに対して、ただ理論を並べ立てるのではなく、作中の人物たちがそれぞれの立場から彼ら自身の人生を踏まえた「思想」として、意見や対立が描替えれている。作者の、テーマに対する向き合い方の誠実さを感じる。

・文化的儀式で問題を解消するというのは良かった。視覚的にも良く、読み心地が晴れやかになった。まぁ私が儀式とか美しい手順が好きというのもある。儀式が救うものがある、という思想が好きだな…。祈りは愛、愛は祈り…。

・オープンしたショッピングモールにスパイラルエスカレーター!

 →世界でただ一つ、三菱電機だけが生産する、あの!?

https://www.meltec.co.jp/useful/technology/1199886_1625.html

 

★全体として…

アイデンティティ(自分らしく生きていくこと)とルーツのどちらを選ぶかという残酷な二択を迫られてしまう生き方がある」という話だと思う。

 →イノグラビムスというルーツを奪われた国民があり、家庭というルーツから逃れられず壊死を選ぶ子供たちがあり、自身のルーツを棄てた主人公がある。

 →どちらを選ぶかに正解はない。なぜ正解がないのかを描く物語だったのかなと(アイデンティティを選ぶのが賢い選択に見えるが、それは姉クロエや主人公みたいな強者にしかできない)

 →でもルーツを取り戻すこともできるし、新たに作ることことだってできるんだよという希望のメッセージで物語を終わらせている。(だから主人公が最後にその選択する?という部分は感情面ではいまいち納得感がないけども、テーマとしては整合性のあるオチかな…)

 

★好きなシーン

主人公が回想で片思いしていた学生時代のシェフの友人

「名前は知っているし、調べれば繋がることはでいる。だが、そうしなかった。何よりも、虚しい思いをすることになると分かっていた」

ここの感情の解像度高すぎる、私も心当たりがあるよ…。

カーステレオから流れる魔笛と死んだ恋

カーステレオから流れる魔笛の『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』を聞いて、ふと思い出す早春があった。

死んだ恋のことだ。

恋は失うでもなく破れるでもなく、死ぬことがある。

 

私の行っていた高校の特進クラスでは、一年と二年が三月に一泊二日の合同勉強合宿を行っていた。三月と言えども未だコートも手放せぬ時期で、ましてや山奥の廃校だか廃庁舎だかを改装した研修所だったから、私たちはずっと寒い寒いと言っていた。

勉強合宿と言っても、いくつかの特別授業があるくらいで大半は自習である。いつもの生活と違うのは、夕飯の後も教室で級友達と勉強していたことくらいだった。私は数学の問題を解きながら、友人から貸してもらったALI PROJECTを延々ループさせていた。

GOD DIVAの冒頭で上述の曲のアリアが引用されている。

 

級友たちのこそこそと潜めた声と石油ストーブの熱の匂いと、窓から染み出す森の夜の空気と、アリカ様の天上へ響くかのような歌声と

解き続けた数学と、

数学が得意だった先輩のことと、

その先輩とは仲がとても良かったのにお互い上手く恋愛に至れなかったことと、

それもお互い分かっていて、

過ぎた時間が何かを風化さたことと、

そして昼間に交わした気恥ずかしい挨拶と、

もうそれくらいしか交わす言葉がなかったことと、

ノートに並んだ綺麗な自分の数式と、

どうしようもなかったなという後悔の術を持たない切なさだけが

今でも昨日のように思い出せる。

 

墓を持たない感情は、今では音楽や風でしか追悼することができない。

 

復讐の心なんて一つも持ち合わせていないのに、と淡く苦いその感情の裏側で

アリカ様の天使への絶叫のようなソプラノのアリアが響いている。

 

2022年ベスト(雑)

今年のベスト5です。これを、2022年12月31日22時50分に慌てて書いています。

ホリャッホリャッ ヨイオトシヲッ

  1. チベット幻想奇譚/アンソロジー
  2. この夏のこともどうせ忘れる/深沢仁
  3. チョコレートパン/長信太
  4. プロジェクト・ヘイルメアリー 上・下/アンディ・ウィアー
  5. わたしたち異者は/スティーヴン・ミルハウザー

アニメ

  1. 羅小黒戦記
  2. リコリス・リコイル
  3. 異世界おじさん
  4. Engage Kiss

詳細は以下の記事をご参照ください

2022年上半期ベスト+α(小説編) - 千年先の我が庭を見よ

※小説以外編は力尽きて出ませんでした

2022年夏のこと - 千年先の我が庭を見よ

2022年秋と冬のこと - 千年先の我が庭を見よ

2022年に知って良かったもの

・『アンナチュラル』『MIU404』(ドラマ)

・タカギベーカリーのチョコレートシュトーレン(おいしい)

こんなん読みましたけど | Podcast on SpotifyPodcast

バンドアパート(音楽)

・芋を蒸かして皮をむき、厚めの輪切りにして2~3日干せば美味しい干し芋が好きなだけ作れる(おいしい)

来年の抱負

・もうちょっと文芸同人を読みたい。本は図書館で読むものみたいなところがあって同人って全然読んでこなかったけども、なんかもっと読んでもいい気がしてきた

・ディスコエリジウムをちゃんとクリアする

・読書会サーバーでの定期雑談会。なんかこのタイミングなら人がいるぞみたいな感じのを…Twitterが滅びるかもしれないので…(そうなの?)

・そのほかお誘い頂いたDiscordサーバーでもわきわきしていきたい

・いうて何か仕事が忙しくなりそうなのであんまり頑張りすぎず、そしてリングフィットアドベンチャアも定期的にやりつつ、健康に過ごすのが第一です。

 

今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

2022年秋と冬のこと

2022年後半はなんか読みかけて放置している本が多くて、載せられるものが少なかった。あれだあれ、ペルソナ5ロイヤルやってたからだわ。仕方ないね。

小説

むらさきのスカートの女/今村夏子

うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。

そしてその”わたし”はその「むらさきのスカートの女」と友達になりたい、と考えている。わたしはその一心で、むらさきのスカートの女の生活を把握し、家を特定し、行先を確かめ、職場に誘導し、交友関係を押さえる。わたしの語りを通して、読者はむらさきスカートの女が、どのような匂いのシャンプーを使っているのか、毎日どのバスで通勤しているのか、職場での第一印象から公園での子供たちとの何気ないおしゃべりの内容、上司との関係、女性チーフ達による嫌がらせなどを知ることになる。わたしという存在がこの世に存在しないかのように「目」を通した語りが綴られる。

語り手の存在の希薄さに奇妙な感覚に陥っていると、突然、店員に「アンタ、ここで何やってるの」問われたり、同僚に「あの人は下戸なのよ!」と噂されたりするシーンが飛び出し、読者は”わたし”は確かに存在する人間なのだという実感を得ることになる。

「むらさきスカートの女」の生活をこれでもかと把握しつづける人間が実在している、という薄ら寒い実感をだ。

 

はっきり言って、読んでいて何も気持ちよくない小説である。ただ決して嫌悪感を惹起させる小説として在るわけではなく、「全然気持ちよくない」がずっと続く。薄ら寒い実感と、ここに出てくる登場人物全員どうなったって別にいいな…という無愛着の果てにこれまた勝手にすれば良いんじゃないみたいな結末がハッピーエンドみたいな顔してやってくる。

全く好みではない小説だったが、感想を文字にしてみるとなかなか面白くなったなと思う。

殺戮にいたる病/我孫子武丸

私が叙述トリックという概念を知らない中学生だったらおったまげていただろうが、もう数百冊読んでるような歳だし…残念ながらヘェ~フ~ン…という感想になってしまった。

老人と海ヘミングウェイ

人生から見ればほんの数日であるこのワンシーンが、あたかも人生そのものであるかのように読める。悲哀を中心としたその「うまくいかなさ」への哀愁が多くの人の心を打ち、名作と謳われてきたのだろう。

あまり(今の)自分に向けられた作品ではないな、という感想。

一方で文章としてはやはり精錬されており、無駄なものが一切ない。ともすれば冗長に仕上げたくなってしまう、こういった物語…人間の在り方みたいなものを、これだけのボリュームに削り込んだというのが多分ヘミングウェイの良さなんだろうなと思った。

第五の季節/N・H・ジェミシン

ほかの誰もが無条件で受けている敬意を、戦い取らねばならない人に

という扉前の言葉に背筋がスッとする。

寒暖乾湿の季節とは別に、生命にとって過酷な”第五の季節”が存在する地球。菌類の異常発生や火山噴火など様々な”第五の季節”が幾たびも起こり、生命が沢山失われ、僅かに生き延びたものによって文明が作られ、歴史が紡がれ、現在に至る世界で、地球とつながる力を持つがゆえに虐げられる”ロガ”たるエッスン/ダマヤ/サイアナイトという三者の視点で物語は進んでいく。

 

この世界のルール、存在、階級、そして”ロガ”の力、差別、等々ファンタジーとSFのはざまのような読み心地。独自の架空世界の創造において「この世界独特の罵声バリエーションが存在する」というのはなかなか面白い発想だなと思った。世界のルールが違えば憎み疎まれる存在も違ってくる。ウンコが最悪じゃない常識もあるってわけ。でも見慣れない罵声で感情のリズムが合わなくなるので、読み心地としては乱されるものがあり、全体のリーダビリティの足はちょっと引っ張ってしまっているなと思った。

 

どういう風に終わるのかな、地球ってことはSF的にこれが未来とかパラレルなのかなとワクワク読み進めていたら、完全にTo Be Continued…な台詞を残して終わってしまった。

第一部完なんかーい。

どうやら三部作らしいが、世界の謎と魅力的なキャラクター達の行方はかなり気になるものの、上述の微妙な読みにくさで手が出ないでいる。気が向いたら次を読む。

わたしたち異者は/スティーヴン・ミルハウザー

表題作が最高。終わりが良い、終わりの一文が本当に良い。

詳しくはこちらの記事で触れたのでそちらを読まれたし。

語り手が異常な小説が読みたい - 千年先の我が庭を見よ

 

それ以外では、郊外に建てられた巨大なショッピングモールがやがて街を飲み込んでいく(比喩)さまを描いた「The Next Thing」が非常によかった。イオンモールが近くにあり、休日は車でイオンモールにいくのが娯楽の一つで、でもトップバリュ製品はあんまり買いたくない皆さんは読むといいです。卑近で皮肉的なSFとして非常に楽しめます。

極めて私的な超能力/チョン・ガンミョン

韓国SFの短編集。ほんの3~5ページの極短篇も含めて10篇収録。

表題作も含めた極短篇はSF的エッセンスの聞いたラブコメ(男女の軽快な妙をそういうのだとすれば)が多く、個人的にはもっとこの設定で面白く長く読みたかったなぁという気持ち。極短篇なので、どうしても落語的なオチでストンと話が落ちてしまって「上手くやったなぁ」みたいな感想にたどり着いてしまうのが惜しい。

その他の短篇も、いかにもなSF的思いつきを物語にうまく納めたものが多い。SFの面白さを少しテクニカルに楽しむ、星新一よりも人間の生身の複雑さを踏み込んで描くSFの第一歩作品として読みやすいと思う。

個人的には発想+文章+ストーリーの全体の”上手さ”みたいなものの方が強く、全体的にあんまり印象には残らなかった。私はSFに刺激を求めているので、もっと感情とか理性にビキビキくるやつが好き。

チョコレートパン/長新太

今まで読んできた絵本の中で1番好きになった。

天国の神様にお土産を持っていけるならこれを選ぶと思う。

ノンフィクション

政治学者、PTA会長になる/岡田憲治

政治学者たる筆者が、小学校のPTAにて会長になり奮闘した記録。

とはいえ、決して改革の成功・失敗譚ではなく、またPTAという存在への賛否に関する論でもない。そもそもPTAは営利・公営の組織ではないので、活動に成功や栄光はないのだ、という主張から始まる。

もちろん無駄としか思えないベルマーク集めや、謎の上からの圧、前と違ったことをやることへの周囲の漠然とした不安、形骸化した伝統、紙紙紙紙、時代の流れ…という想像通りの「ネガティブPTA」も登場する。しかし、本書は「PTAとは自治である」が念頭に置かれ、政治学者として「自治とまず」といった組織の定義の話でスタートする。そして生きている”自治”活動に関わった筆者の、人間と人間による組織活動の(生々しく)瑞々しい記録が書かれている。

そして、どうあってもそこには全員の「みんなが上手く楽しく生活ができたらいいよね」の願いがある、ということを深く知るだろう。

責難は成事に非ず。

改革や改善によって軋む感情との付き合い方に悩む人や、PTAとの付き合い方に不安を感じている人にとって良書である。

漫画

片喰と黄金

19世紀中ごろのアイルランドのジャガイモ飢饉から、従者コナーとともにカリフォニアの黄金!ゴールドラッシュを目指すアメリアちゃんの物語である。

史実をベースにした架空漫画はつい歴史のお授業になりがちだが、そういった押しつけがましさはなく、一方で奴隷問題や先住民問題、飢饉などもきちんと描いており、歴史を学ぶ面白さと読みやすさが両立している。というのも、アメリアちゃんが悩んで立ち止まらないキャラクターなので(悩んで立ち止まっていたら死ぬ世界で生きてきたので)話がちゃんと前進し続けるのだ。魅力的なキャラクターもギャグの度合いも良い。

1話が下記で読めるのでお試しあれ

(なお、途中で連載先が変わり、7巻からコミックの発売元が変わっている)

片喰と黄金 - 北野詠一 / 第1話 アイルランド | コミックDAYS (comic-days.com)

コウノドリ鈴ノ木ユウ

産科医マンガ。医療マンガにしては台詞密度が低くて読みやすいんだが、「本当はこうですよ」の説明のための無垢なバカ役が毎話出てくるので精神衛生に良くない。(妊娠は女のコトなんだから俺に言われても分かんないよ~って言う夫とか)

あとは先天性の身体イレギュラーってこんなに、こういう風に出てしまうものなのかといった学びがあった。人間の設計図はまあまあ誤謬が多い、医療と科学の発達は凄い。

 

医療マンガはどうしても生死を扱うので、そりゃドラマになるだろみたいな、なんていうかこう感動への食わず嫌い感が強くてあまり読まないんだけど、これとフラジャイルはまぁまぁ読んでる。フラジャイルも病理医マンガで面白い。

次回予告

『最愛の子ども』

『血を分けた子ども』

『ループ・オブ・ザ・コード』

うたわれるもの最終章(アニメ)

TENET(映画)

 

アンダー・ザ・死

久々に水族館に行った。

大きな水槽で悠々と泳ぐシャチ、ウミガメ、でかい魚などを見て、やはり海は怖いなと思った。もはやイルカとかも怖いなと思った。

海が苦手である。

得体のしれない闇が数千万メートルも下に広がっているという事実、そしてそこに生命が、自分より遥かに大きな生き物が存在しているという事実が恐ろしい。私にとって広い海は、すぐそばにある死の裾でしかない。

船に乗るのなんか恐怖だ。ジェットコースターに乗るよりも、定期船とかで離島にいくほうが精神的なストレスは大きい。落ちたら死ぬ。下に死が広がっている。

 

ABZUというダイバーのような海の一族になり、海中遊泳を楽しむゲームをやったことがある。鮮やかな魚たち、優しく寄り添うイルカたち、ゆらめく海藻は幻想的だったが、天国的な虚脱でしかなかった。美しさは張り詰めた恐怖の裏返しだった。深海で自分より遥かに大きなクジラが横を泳いだ時に死を感じた。もうこれは死ぬべきだと思った。抗えない、抗ってはいけない。

 

昔はかわいいと見ていたイルカも、「いま地球のどこかで、この大きなイルカがゆうゆうと泳げるだけの広くて深くてとてつもない海が、そこにあり、そこではただヒトは死ぬだけの場所なんだ」と想像するための恐怖の導火線になってしまい、生き物としてまともに見れなくなってしまった。知識が想像にブーストをかけた状態である。

 

その夜、夢を見た。

そこは浜辺に立つ屋敷で、月明かりと常夜燈が庭を明るく照らしていた。大きな松のそばで足を止めた私は、縁側に座った当主を振り返った。夜の海に静かな波の音だけが聞こえる。彼が言った。

「海が見える家に住むもんじゃない。夜のさざ波は死にたいと思った気持ちを容易く拾いあげて死に誘い込む」

私は頷いて、屋敷を後にした。