語り手が異常な小説が読みたい

「信頼できない語り手」という小説ジャンルがある。

信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、英語Unreliable narrator)は、小説映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手ナレーター語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者観客を惑わせたりミスリードしたりするものである

信頼できない語り手 - Wikipedia

好きだな~そういう胡乱さ…。

 

でも私はもっともっと希薄なトラストを求めていて、語っている奴が人間なのか存在するのかどうかすら怪しく、言うなれば信憑性に欠ける信頼できない語り手の小説が読みたい。なんなら語っている内容の虚偽というよりは、存在の胡乱さの方を求めている。しかし読みた~い!と言ったところでインターネッチョの海で親切なウミガメが運んできてくれるはずもなく、自ら竿を持ち餌を撒かないかぎり得られないのである。

仕方ない、海老を撒きます。エビビビビビ…

BEST5

私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない/キャロル・エムシュウィラー

これは「私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない」という話である。”わたし”は”あなた”の生活に紛れ、屋根裏に住み、あなたの服を着て、時々一緒にテレビを見たりワインを飲んだりする。置いたはずのないグラスや天井の足音や消えた服に”あなた”は違和感とほんのかすかな恐怖を感じている。

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これが決してホラーの意図で描かれていないのが本作の特徴である。

語り手は自身の行動の痕跡が残ることも”あなた”へ影響も知っていて行動している。一方で、”あなた”の方はおそらく存在を認識しておらず、でも世界からみると”わたし”はたぶん存在している…ような気がするがやはりわからない。結果だけが常にそこにあり、そこに確かな感情を持っている”わたし”がいるのだ。でも「いる」って何?

 

エムシュウィラーという作家が、こういった信頼できない語り手による物語や全体像の見えない奇習や文化を背景にした掌編を得意としており、もし「胡乱な読み心地」を求めるならこの短編集はとってもおすすめです。

でも国書刊行会でちょっと読んでみるにはお高い…が、なんと米澤穂信先生がアンソロジーで収録してくださっております。

ちなみに、このアンソロジーは他も粒ぞろいでお勧め。

淵の王/舞城王太郎

よりホラーに寄せて、”舞城王太郎”による作品として仕上がっているのが『淵の王』である。

3部構成となっており、中島さおりを「あなた」、堀江果歩を「君」、中村悟堂を「あんた」と呼ぶ何者かによる語りでそれぞれの物語は始まる。さおりも果歩も悟堂も、語り手を意識することはなく、また語り手もノートを破ったりドタドタ歩いたりというような干渉はできない。存在しないのだ。でも、黒い影や真っ暗坊主や屋根裏に広がる闇の穴は存在する。

「わたし」たちは本当に本当に本当の愛を持って、彼・彼女たちを見ている。彼・彼女たちの決断を友情を人生を思い出を慈しみ、寄り添い、そして

俺は君を食べるし、食べたし、今も食べてるよ

”魔”に立ち向かう姿をずっとずっとずっと見守っている。

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得体のしれないものに恐怖する、原始的なホラーとしての完成度も高い作品。現象としてあるため、存在を認めざるを得ない”魔”があることで、逆説的に、存在が不確かな語り手が「小説としての技巧なのか」「そういう存在が居るのか」という境界線上に立つ。その虚実のあわいの中で、生きている人間の、自分や他人の感情に向き合う精神があり、愛にたどり着くための果てしない熟慮がある。

 

個人的に、人生で読んできたもののなかでトップ3に好きな小説。

わたしたち異者は/スティーブン・ミルハウザー

私たち異者はあなた方とは違う。

ポール・スタインベック。住んでいたアパート。4歳の誕生日の思い出、8年生の頃の初恋、結婚、46歳の時の両親の死、52歳の9月の眩暈…そうしてある日の明け方近くに、快い軽やかな気分で目が覚める。

私はベッドにいて、私はベッドの外にいて、ベッドにいる自分を見ている。

そして”私”は<異者>となる。

 

わたしはしばらく彷徨い歩き、とある家の屋根裏に落ち着くことにする。家の主であるモーリーンは、やがて家の中のおかしさに気づく。彼女との間に会話が生まれる。(会話が?)やがてもう一人、アンドレアも家にやってくる。わたしは〈異者〉たちの会合に出たり、心地良い夜を味わったり、クローゼットの中に隠れたり、モーリーンの話を聞いたり、アンドレアを見たりして――

奇妙な同居と不穏な交流の果てに、そして降りしきる雨の中で、”わたし”はようやく<異者>という存在を理解する。

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出自こそ幽霊のようであるが、生者と会話が出来たり、生前の自分へ無頓着であったり、また同類での会合があったりと、これは確かに<異者>の物語である。理解のために別の存在とすげ替えることはできない。

常にその<異者>たる存在の不穏さと、読者の常識とは相容れないその同居生活は、ホラーでもファンタジィでもなく、ただ認知のおさまりの悪い情報として読者の脳に流れ込んでくる。

<異者>とは何なのか?を解明する物語ではない。しかし、読み終えたときにどうしても<異者>とは何なのかを知ることになるだろう。

少女架刑/吉村昭

これは厳密には「信頼できない語り手」ではないかもしれない。語り手は死んだばかりの少女の死体である。

呼吸がとまった瞬間から、急にあたりに立ちこめていた濃密な霧が一時に晴れ渡ったかのような清々しい空気に私はつつまれていた。

死んだ少女は、自分の体が献体として医大生に渡されるところ、母親が香奠料とかかれた袋を面映ゆ気な表情で受け取るところ、そしてメスが頬を切り裂き、臓器が一つずつ標本にされ、骨が取られ、焼かれ、骨になるところ、骨壺が車で運ばれるところ、その全てを自らの視点でもって語る。

描写も感情も回想も、常にそこにある仰向けに横たわった死体から発せられているのだという確かな肉の冷たい重みがある。そして骨になれば骨の乾いた軽さだけが文体に残り、少女は(読者は)最後の一文で死というものの神髄を知ることになる。

 

死体が語り手という設定というよりは、この最後の一文による凄まじさが突出している。

 

なお、こちらもアンソロジーで読んだのでそちらでのリンクとした。

このアンソロジー自体、室生犀星『蜜のあはれ』、川端康成『片腕』…と幽世めいたフェティッシュの多いアンソロジーで、好きな人にはたまらないものばかりである。

ANIMA/ワジディ・ムアワッド

 女が死ぬ。それは過去になる。数多の動物達が観測している。殺された女に纏わる事実と会話が聞かれている。見られている。動物達の目と耳がある。人間の感情は置き去りだ。動物達は自らの宇宙と哲学とそして観測が物語を作ることに気付いてはいない。女の死はまだそこにある。

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殺人事件が起こり、物語が動いていくのだが、それは周囲に存在する動物たちの視点によって描かれる。カラスからネズミへ、ネズミから飼い犬へ…遺族が悲しむ様子も、隣人が捜査官に語る情報も、読者はそれを目撃している動物の知覚を通して知ることになる。

複数のカメラが空間を作り、カメラの移動は時間を作る。小説の味わいというよりは、存在しない場所に仕掛けられた見事な舞台を眺めている気分になる。小説で空間そのものを感じたこと、ある?

ただ一方でその仕掛けの所為でストーリーの進みは遅い。映像をそのまま文章にしたかのような構造のため、情報量が膨大となっており、全体的に読み易いとは言えない。とはいえこの読書体験は非常に稀有なものだと思う。

その他

夏と花火とわたしの死体/乙一

 タイトルの通り、殺された死体のわたしが語り手。どこか他人事のように進む事実の中で、死体による語りは常に滑稽なホラーを内包する。

点対/Murashit

 『新しい世界を生きるための14のSF』収録。信頼できない~に分類されない気がするが、語り手が同時に二人存在するという実験的な小説。読みにくいが、そこも含めてこれは小説というよりも芸術作品の一種として楽しむものであろう。

待ってます

上記ラインナップは「信頼できない語り手である」というよりも「語り手が異常」という部分に重きを置いて紹介した。異常性は人外や死体であるという設定よりも、読み心地から浮かび上がる語り手としての存在感を優先している。私の好みである。より幅広く集めたかったので、TOP3ではなく5とした。

 

ということで、こういうの感じの語り手小説をご存知でしたら、本ブログのコメント欄やTwitterなどで教えてください。

浜は祭りのようだけど・御礼

想像以上に外洋からドシドシ魚が押し寄せて、オロオロしていました。嬉しい悲鳴です。Twitterはてなブックマークのコメント、ブログコメントなどで教えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

こんなに集まると思っていなかったので、以下にてとりあえず自分用メモとして、各所からピックアップしたものを一覧化します。これは本記事の趣旨への正誤を判定したものではありません。図書館・本屋での参照用メモみたいなもので、個人的に気になったものを記載しています。例えば、私は怪談やホラーが苦手なのでココには挙げてません。また、見落としも当然あります。ご容赦ください。

そして、一覧化はしますが、該当本インフォメーションはいつまでも募集中です。いつ来ても嬉しいよ!よろしくお願いします。

釣果‐2022/12/21更新

メモ作成にあたって

・私が既読、ネタバレに繊細なジャンルっぽいものなどはなるべく除外した。

・簡易な紹介文を書いて下さっている場合、タイトル直下に引用させて頂いた。引用元IDを載せていいかよく分からなかったので省略させて頂いておりますが、強い感謝の念を、あなただけに送っています。ビビビ…

・()内はその短篇を収録する本のタイトルである。もちろん他で収録されているケースもあろうが、検索で見つけやすかったものを採用した。

【日本】

最愛の子ども/松浦理英子

主人公たち「以外」の「わたしたち」によって語られる一人称複数視点の物語。読者は徹底して傍観者であり、真に主人公たちに何が起きているかは想像されるしかない

殿/森福都(『長安牡丹花異聞』)

田紳有楽/藤枝静男

語り手の事情/酒見賢一

独白するユニバーサル横メルカトル/平山夢明

語り手は地図

ホテル・カクタス/江國香織

帽子ときゅうりと数字の2が語り手の物語

爪と目/藤野可織

娘が母のこと、自分の生い立ちを語る話なんだけど、冷めきったトーンも、子供の視点では知りえないようなことまで語られるあたりも不気味な話

【海外】

私たちが孤児だったころ/カズオ・イシグロ

REM/ミルチャ・カルタレスク(『ノスタルジア』)

語り手が形而上学的寄生生物のように描写され作中人物に寄生したり単独で移動したりする

夜の海の旅/ジョン・バース(『短篇コレクションⅠ』世界文学全集 第3集/池澤夏樹 編 )

頭突き羊の物語/マーク・トウェイン(『バック・ファンクショーの葬式』)

レ・コスミコミケイタロ・カルヴィーノ

グロテスク/パトリック・マグラア

悪童日記アゴタ・クリストフ

ケルベロス第五の首/ジーン・ウルフ

すべての火は火/フリオ・コルタサル

【小説以外】

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ/木下龍也・岡野大嗣

あとがき:つまり立ち去る彼・彼女らについて

思うに、この異常性を際立たせるものとして、最後の一文がぞっとするほど心に残るという特徴がある。

物語の終わりが上手い。それはつまり、これらの「信頼できない語り手」たちの舞台からの退出が印象的ということだ。彼らは現れることなく始めから舞台に立っている(不可視の/幻視の)存在である一方で、物語の終わりには語りを終え、確かに消え去るのだ。”存在する”とは何だろうか?私たち(そう、読者である私たちだ)は、読書という音も絵も得られない舞台の中で――それが――消える瞬間にだけ、存在を認識できる。

信憑性のない・信頼できない・胡乱な語り手たちは彼・彼女らが立ち去る瞬間に、「確かにそれが存在した」と残される私たち読者への認識に爪痕を残していくのだ。

 

 

kiloannum-garden.hatenablog.com