これが貴様の墓だ

仕事の話だ、仕事の話をしよう。
自分の受動的な仕事と能動的な仕事の割合が逆転した。
教育する、指示する、依頼する、交渉するという対人業務が多くなり、内向的な自分には正直苦行である。
まあ頭を捻る作業そのものは楽しいし、モチベーションがそのまま成果に直結するのでやり甲斐があるのだが。

なんというか、今まで強制的に関係せざるを得ない人間(血縁関係とか教師とか)を抜いて、基本的に「話のわかる人間」としか付き合ってこなかった。
もっと詳細に言うと価値観が近いか、価値観が違うことを認識しているかのどちらかの人間だ。
友人はどちらかに分類されるだろう。
それ以外の人間は、「なるべく関わろうとしない」という選択肢が存在していて、絶えずそれを選択することが許されていた。

ただ...(あまり好きな表現ではないけれど)社会に出ると、登場人物のリソースが限られているので「なるべく関わろうとしない」という選択肢が選べない場合が結構ある。
そう、これが学生と社会人の違いとか言われている、社会人になったらイヤなやつとも付き合わなきゃいけないんだゼという意味です。
まあ社会人でなくとも血縁関係とか教師とか、そういうところにこのルールに引っかかってしまうともっと早いうちに経験することになるのですが。

結局、このタイプを付き合っていく場合は「価値観を近づけさせるか、もはや別の方法で勝ちに行くか」のどちらかになる。
前者は教育になる。
個人的には、思考回路を開く(判断する根拠のパターンを覚えこむ)ということであり、これはうーん数学でひたすら問題を解いてテストで「アッこれ進検ゼミで見たやつだ!」をやってもらうしかないと思う。
でもその「見たやつだ!」はまんま同じ問題が出るわけではないので、「見たやつだ!」と気付くための能センスの吸収に対する能動性みたいなものが必要になってくる。
ちなみにこの能動性を「やる気」と呼ぶと決裂する。
後者はもう我の張り合いをやめて如何に奇策で納得という名の落と穴に嵌めるか、になる。
そう、もうこの、コレがこれが辛い。コレが気力を奪うねん。
話し合いというのは基本的に先方にとっては「相手が自分の意見に納得して帰ってもらう場所」になっているので、話し合いというヤツは絶対に終わらない。
なんかもうこれは論理を如何に話術で感情的に理解できる表現に落とし込むか、というスキルが要求されるものなんだなぁと分かり始めてきた。
わかりますか?これが今回のタイトル&サブタイトルの意味です。

文章だと或る程度シンキングタイムがあるので、対策できるんですが口頭だと本当に難しい。
最近めっきりアウトプットをしなくなったので、考えたことを即座に言葉に変換するということが難しくなってきた。
アウトプット作業は基本的に訓練しないと身につかないのだ...。
ということで、しばらくこういうことをなるべく文字にしてみたいと思う(続くのか?)(続かないな...)

でもなんとなく、こういうことは言葉に出さずに自分の内部ルールとして持っておくほうが良いと思っていたし、今も思っている。