鉄分の多い思考

メモ帳があまり要らない。

勉強科目としての暗記が得意という訳では無いのだけれども、日常生活の中での「これは記憶しておこう」というリマインダーを脳内でピッと付箋紙を貼るみたいに覚えておくことが出来る。例えば「食パンが無いから夕方にスーパー行った時に買おう」「今度の燃えないゴミの日に割れた花瓶を捨てよう」みたいなものから、小説や漫画の創作のネタとか思いついた粋なフレーズまで、「覚えておこう」と意識したものはあまり忘れない。特に自分の中から生まれるものであれば大抵は可能だ。事象そのものを覚えているんじゃなくて、思いついた前後だとか起因するイメージを栞にして思い出している。と、いうことであまりメモ帳などを持ち歩いたりしてこなかった。特に思い付きなんかの「ネタ帳」的なものって全部脳内から出したら風化するというか、自分のものではなくなってしまう感じがして意図的に避けていた。

でも最近、日常で考えるという作業が物凄く多くなって、「覚えておく」っていうことが顕著に脳内のdrive容量を圧迫している(或いは思考に使う分が老化してきたか)。ここで言うdriveはコンピュータ用語のドライブじゃなくてもっと単純に英語のdriveね。ドゥルンドゥルンドゥルンドゥドゥドゥ…だよ。

考えるという作業が物凄く多くなったのは、仕事や研究だので必要に迫られたわけでもなんでもなく…ただ何となく時間が勿体無いなーと思ってボケっとする時間を全部考えるって趣味に費やしているだけなんだけど…。そう、趣味…。生活のこともそうだけど、半分くらいは趣味だな…。

ということで、黄色いメモ帳を買って思いついたこととかやりたいなーっていう漠然としたことをメモするようになった。何か「ネタ帳を持ってる」ってかっこいい…と思ったりもしたけど、結局後からあまりそのネタ帳を見るのは好きじゃない。多分手書きの文字が、自分のまだ調理も出来ていない生々しい思考の切れ端を見るようでグロテスクに感じるんだろうな。(デジタルでやれば良いんですけども…)

 

自分の綺麗に整えていない部分を(空気に)晒すことに物凄く抵抗があるのだ。零せるのは言葉によって整えられた思考だけだ。そう、だから日記なんて書けない。毎日何があったか、どういう風に感じたかなんてものを曖昧なまま綴ることが出来なくなった。そういうものは……脳内から出してしまうとたちまち汚く変色してグロテスクになる(と思っている)。鉄分が多いんじゃないか?…つまり結局のところ思考にも血が通っていたってわけだ。私は私の茶褐色に染まった思考が嫌いなんだ。

でもこの世には美味いレバーもあるよ。

 

何の話だっけ?