概念消滅を目論むMicrosft IMEと最大カワイイの汎化

私のコンピュータが「きく」という動詞の存在をこの世から消滅させようとしてきている。ある日突然、PCの変換が「きく」という動詞だけ上手く変換することが出来なくなったのだ。以前は気にしたことは無かったので、出来ていた、と思う。「聞く」も駄目だし「効く」も駄目だ。活用形(きいた、きけば、ききたい...)も全部駄目。

奇異田、き毛羽、危機泰...になる。

何で?何がそんなにお前の耳を切り落とそうとしているんだ?これから徐々に変換できなくなった動詞が増えていって、そうして我々は人間としての行動のなにもかもを忘れて肉を纏う植物になるのか?小川洋子の小説でそういうのあったよね。*1今はまだ音読みや熟語は残されているので、面倒な手順で変換できているがこれもいつまで許されることだろう。

まぁ...金で解決できる問題なんだが。

 

十数年ぶりにプリクラを撮った。

聞きはしていたが*2加工が凄い。キラキラした大きな目、白く透明な肌、艶やかな髪、眼鏡の傍の歪んだ時空。これはどこまでが私なんだろうか。現実における「カメラで肉体を撮影する」という過程があるだけで、目の前のこれは殆どアバター製作に近いのでは?と思った。つまり、始点と過程において大まかな納得感さえあれば、終点そのものの位置は恣意的にどちらかに寄せることができるということだ。手順が何よりも大事。それがアバターなのか、写真なのかは過程に依るだけだ。

個々人の肌色や肌理なんて全て統一されて、個人を特定できるのはかろうじて目と鼻と口の位置、大まかな骨格と髪型だけ。死霊のアイデンティファイと一緒じゃないか!(死霊のアイデンティファイ?)化粧なんてしてもしなくても同じ、凄まじい統一化だ。シールの中の人間は、生命なんてものを感じさせない輝きを持ち、見れば見るほど「美しい」と誤認させられているような気がする。

 

これはみんなで不気味の谷をせーのっで超えることによって生まれる最大カワイイの汎化だ。

 

 

 

 

 

*1:密やかな結晶 (講談社文庫):目覚めるとある「言葉」とともにその概念やまつわる記憶が、世界から失くなっている...という忘却の物語。

*2:当然この「ききはして」も変換できないので、見聞と打ってから見を消して「きはして」を足している。クソッ