私がディル爺と呼んでいるおじ様による、クッキング番組がある。
ナイジェル・スレイターという英国の人気フードライターのおじ様が、料理に関する自分の拘りを語りながら、決してシンプルではない料理を(工程はシンプルだが入れる材料は全くシンプルではない)作るだけの番組である。
見所は料理ではない、このおじ様だ。
このスレイター氏、とにかく村上春樹の書く長編小説の主人公みたいな人なのである。
キッチンは、簡素ながら料理が趣味であることをを大きく意識させる(一日中そこに居たって構わないと思わせるような)老いた木工職人の工房のような雰囲気だ。
キッチンの外には庭が広がる。主人と、大切な客人以外の立ち入りを拒む気高さを内包するような、それでいて実用的なハーブと野菜の庭だ。
そして、その美しい空間で、自分のためだけに楽しそうに料理を作る。家庭内で必要に迫られ4人分の夕食を作る、なんて世俗は一切感じさせない。
「ぼくはね、断然ディルを使う」
「アニスを入れることでね、肉に、本当に良い香りがつくんだ」
一字一句丁寧に、きちんとした文章を読むようなこの物言いがこのナイジェルという人の雰囲気を完璧に仕上げている。(英語でも日本語でもイメージは同じだから安心して欲しい。でも日本語音声で視聴することをお勧めする。)
きっと気分が乗らない日は、ワインと冷蔵庫にあったチーズと残りのパン、庭で取れた林檎を齧って古いチェアで雨が降りそうな空を見ながら午後のことだけを考えてぼんやりするんだろうな。多分そうだ、そう感じさせるオーラがある。
時々、インスピレーションを求めて、家庭農園を楽しむ上流家庭の老夫婦や、森で移動コーヒー店を営む犬好きの男性の元を訪れるシーンもある。料理や野菜などを見せてもらい、その手腕を褒め、出された料理を食し、談笑する。
そのときの「他人に直接興味がない感じ」が凄く春樹キャラっぽい。
村上春樹の主人公達は往々にして「特別なナニカ」を媒介にしてのみ他人と交流を始める、続ける。(海辺のカフカでは本だったし、騎士団長殺しでは絵だった)このナイジェルも料理や収穫物を通してのみ、他人と会話している感じだ。
全てにおいて、完璧に村上春樹の小説に出てきて主人公を務める条件が揃っている。何故まだ出てきていないのか不思議でならない。
なおディル爺というのは、番組内でディルという芝生の友達みたいなハーブを多用することから僭越ながら付けさせて頂いた個人的な愛称である。
念のため言っておくが、私はこの人の正式なプロフィールは何も知らない。ただ見たイメージだけで語っている。しかしこれはイメージ娯楽の楽しさを伝えている記事なので何も間違っていない。
「この番組が面白いよ」ではなくて、「このイメージを共有し咀嚼する楽しさを諸君にも与えよう」というのが本記事の目的だ。
(騎士団長が笑う声がする)
君にも楽しんでもらいたい。
Stilton Puffs - Nigel Slater's 12 Tastes of Christmas - Episode 1 - BBC One