夜が近付いても歩き続けていた

落ち葉の色が赤から黄色になって、吐く息の白さに驚かなくなった。

空には星が輝いている。夏よりも多く見える気がする。知っている星も夏より多い。

時が流れるのは早い。
そしてそれよりも、自分の知らないところで流れている時間の方がずっとずっと速い。
久々に友人や後輩と話すと、自分の知らないところで沢山の事が起こっていたり、多くのものがなくなっていたり始まっていたりする。自分から距離をとればとるほど、その速度は上がる。
おそらく、自分の時間軸とは別に捉えている所為だろう。
全く知らない人の人生は一瞬に思える。
もしかしたら、地球を外から見たとき、46億年なんていうのは一瞬なのかもしれない。


そういえば小さい頃、漫画や作品にのめりこんで自分がそこに居る空想をすることがあった。
登場人物達は物語の外で私と一緒に遊んでいたし、世界の端に作者もしらない私が作った場所があった。
大人になって、作品はただの作品なのだと、登場人物はデータなのだと気付いてしまった。今では、私はいつも現実に居座って彼らを眺めている。
あの頃の自分にとって物語は作品ではなく「違う世界」だったのだろう


この間、教授と勉強というものについて少し話した。
「私も先週61歳になりましたけど、やっと刑法がちょっと分かってきたかな、と思いました」
と先生は言った。自分の専門でさえ、教授が61になって「ちょっと分かった」というほどなのだ。
学問は奥が深い。


講義で”○○学”というものを教えるのは難しいらしい。
研究者は○○学の更にその先を細分化させた一分野について研究しているものだから、その学問について幅広く講義しろ、と言われても中々その面白さを伝えるのは難しいのだそうだ。
「面白く、分かり易く、それでいて深く、という講義を目指しているんですけどね」
と先生は困ったように笑っていた。


たまに触れる専門外の知識がとても面白く感じることがある。
いつの間にか自分の専門についての勉強は嫌々になっている事がある。
結局それは、新鮮味の違いなのだろう。
自分の専門だって、疑問が増えて調べだすと数時間あっという間だったりする。きっと表層知識では新鮮味が感じられないくらいには知識量は増えてしまったのだ。しかしその奥に進むだけの興味は、知識量の増幅でしか得られないという矛盾が、勉強の面白さが分かりにくい原因だろう。


図書館を出て歩き出すと、冷えた空気にすっと脳がクリアになる。
ポケットに手を入れて一人、暗くなった大学を歩く。どこか遠くで管楽器の音がする。
あとどれくらいこの場所に立っていられるのだろう。