石橋も石橋で叩いて残った方の石橋を渡る

たたききゅうりを作るときにきゅうりできゅうりを叩けば、何がどうなっても求めていた結果になるのではないか。手元のきゅうりか俎上のきゅうり、どちらかは破壊されているだろうし、今ここにあるのは破壊されるべきものだけだ。どんな道筋を通ろうとも結末は望むかたちに収束する。私はこういう安心感が好きだ。

何らかの行動に出る時…つまり未来に向かって塞が投げられた時に、そのあらゆる結末が自分の想定した許容範囲内に収まると安心する。結果が失敗を回避するということよりも、事前のそういう「よし、これでOK」という思考の十全さ、隙のなさを求めている。全能感に近いのかな。知性を正しく使っている、といった満足感だと思う。

チェスや将棋と相性の良い精神性かもしれない。

でもそこに矜持をベットするほどの気概はないので、勝負には向いてないだろう。