効果的な降下中のエレベータ、現れない幽霊、そして盃に注がれた情報

降下中のエレベータの中でしか出来ないような話がある。

プロポーズは夜景の見える素敵なレストランで、という王道のイメージ。
その話をするのに相応しい状況だとか空間ってものがあるような気がしている。

雰囲気に呑まれるというより、雰囲気に呑ませていく言葉の数々、たとえばこんな場所で話してしまったらあまりの濃度にむせ返ってしまうような言葉は吐き出さないとかそういう話。
同性二人で恋の話をするには6畳以下の部屋が良い。
どうにもならない世界を嘆くのには喧しい居酒屋が良いとか、

自分の中でこういう場所で、こういう効果を狙って、こういう話をしようという打算はある。(ありたい)

多分、告白をするのに良いシチュエーションを狙っていつまでも好きだと言えない片思いみたいに、いつも「よしここだ!」っていう瞬間を狙っている。

 

大学時代を築数十年の歴史ある廃墟のような寮で過ごした。

幽霊が出てもおかしくないような場所だった。冷えた踊り場の大きな鏡は虚空を映し、細い廊下の隅は光が充分に届いておらず常に闇が座していた。

けれども一切そういう話はなかった。幽霊よりも天井コンクリートの黴の方が話題に上った。時々「こういうこと言ってる先輩がいたぞ」という話が酒の席で上がったが、その程度だった。それもやはり、見たという体験談ではなく「誰かが言っていたような気がする」と霧散した責任を添えて語られた。「昨日、一人でいたらいきなり物が落ちた」という話は「へぇ怖いね」で流された。

幽霊は望まれない場所には現れない。妖怪や神が信仰と口伝で消えていくように、語られない場所に幽霊は存在できないのだろう。

 

久しぶりに1日ぽっかりと空いたので、ぽっかりなりの1日を過ごすことにしたた。

昼に、ランチにしては少し高めのイタリアンを食べて、少し大きめの図書館へ向かう。3,4時間くらいだらだらと雑誌を見たり、普段は手にとらない本を読んだり、棚の間を歩いたりして過ごした。充実した1日だった。

皇室のしきたりについての本と、機内食についての本を読んだ。どちらも非常に面白かった。

知らない事を知るのが面白い、というのもあるけれど、何となく生産的でないことをすることに背徳感がある。このあたりは自己形成過程での影響によるものだろう。本を読んで情報を増やす娯楽には安心感がある。

ただ、余暇が減ってくるとこの情報の摂取というものが風情ないものというか……どこまでも最適化してしまう。

ジャンプやラノベのようなキャラクタが多く独特の世界観を持つ作品を読んでいると、途中から読むのをやめてWikipediaを読んで満足してしまう。ミステリやSFも、昔はページを捲り結末に近付くまでが楽しかったのに、今ではもどかしさの方が大きい。ただのプロットをなぞる鮫と化している。(鮫?)水族館のアシカショーの舞台をビチビチヌルヌルと移動しているネコザメのイメージだ。そんなものは見たことがない。今出てきたイメージだ。

頭の中がポワポワでいっぱいになって何も考えられなくなるという点では飲酒に近いのかもしれない。

酒も情報も、摂取している最中は極めて愉快だ。