共通思考とは何なのか?

「作られた目的はなんですか?」

「ハギリ博士にお答えしました。人類の共通思考の構築です。(中略)」

「共通思考とは、どんなものですか?」

「人類の理智の多くが参加することで形成される思考形態のことです。そのためにネットワークを構築してきました。」

—『デボラ、眠っているか?』

Wシリーズに続くWWシリーズでは人工知能とヴァーチャルによる未来が描かれている。その中で核として言及されているのが真賀田四季博士が百数年前、コンピュータ黎明期に仕込んだとされる「共通思考」なるプログラムの存在だ。

来たる未来に備えて組み込まれたというそのプログラムに主人公たるグアト、そして読者も解明を続けている。

「でもグアトは、その共通思考が人類に不利益をもたらすものだとは考えていませんよね?」

「そう、私は、マガタ・シキという才能を信じている。これには理由はない。完全に宗教だね」

『リアルの私はどこにいる?』

私も信じている。

では 「共通思考」とは何なのか?

考えていることを共有するということ

 ヴァーチャル世界の住人というものが出てきたときに、相互の人間の関係はどうなるのだろうか? 私たちは物理世界から、彼らのことをどのように捉えるようになるのだろうか?

一言で答えるのなら、「幽霊」だろう。

 

『幽霊を創出したのは誰か?』ではこれがテーマだった。

しかし、この時の「幽霊」という単語からとれる解釈はあまりにも広すぎる。

魂のみの存在という意味もあるし、強い感情の残滓という意味もあるし、そこに死の面影を感じることもできるし、あるいは同じ空間に居ながら互いに認識できない存在という抽象的に取ることもできる。西洋と東洋では幽霊のイメージも違う。

そこで、ここで使われる「幽霊のようだ」という一言の意味の純度を上げるためだけに今回の事件が起こっている。作中でグアト自身「自分にこのことを勘付かせるために起こったような...」と言っているけれども、これはグアトにテーマについて考えさせるためだけにという意味ではなく、答えはもう先にあって「正確な意味(意図)の純度を高めるために」行われている。グアト(と読者)に意味を正確に伝えるために「物語を構築した」と言っていい。

 

「思考を物体のように信号を共通化する」ということ

さて、このように言葉を尽くすことによって、私たちは齟齬を最小限にとどめようとする。消えることはない。そう、「意図と言葉の間に生まれてしまう齟齬の存在」、これが真のテーマだ。

頭の中に描いているイメージをそのまま相手に「見せる」方法はないのだろうか?

 

それを面白い形で実現したのが、チャイナ・ミエヴィルの『言語都市』の異星人だ。 

言語都市

言語都市

 

彼らはヒトと異なる言語体系を持ち、徹底して絶対に嘘をつかない・正確な内容伝達を至上とする話法を用いる。その手段として、彼らは「直喩」を作る。

例えば「大きな穴を塞ごうとしたが塞ぎきれなかった板のような」という直喩を使うために、大きな穴をあけて、塞ぎきれない板でその穴を塞ぐという「事象」を作る。

直喩というものを逆構成で仕立て上げ、イメージにあたる物体を作る。それがこの異星人の答えだ。まさに「思考の物質化」である。

 

しかし、バーチャル空間では物体は存在しない。それは単なる設定でしかない。

人間たちが「肉体はほぼ同じ物体でできている。世界にある物体が、すべて同じ粒子群で構成されているから、このような共通感覚を持てる、ということだ。だが、電子の世界ではそれは単なる設定でしかない。リアルでは当たり前のことが、ヴァーチャルでは特別な設定になる、ということだ。

『幽霊を創出したのは誰か?』

だからこそ、WWシリーズでは、「信号の共通化」となる。そして、それが「共通思考」というものの核心なのだ。

共通思考というのは、物体のように信号を共通化することかもしれない。そうすることで、お互いの信号がお互いに確認でき、お互いに影響を及ぼすことができる。すなわち、思考が、物体のように目に見えて、手で触ることが出来、移動したり、加工したり、破壊することができる存在となる。思考が物体になる、といえば良いか。

—『幽霊を創出したのは誰か?』

物理世界では「物体」の共通認識には差異はない。その通りだ。あなたが見ているものがりんごならば、わたしがみているものもりんごである。そして、「これはりんごです」というコミュニケーションが成り立つ。でも気持ちや考えていることはそうはいかない。あなたの悲しいと私の悲しいは同じ粒子群で構成されているとは限らないから、「共通認識が成り立たない」というのが前述のグアトの発想だ。

 

悲しい現実だ。それでも感情を思考を共有したいと考えるのが人間だ。

私たちはどうしているだろうか? 

 

そう、言葉を尽くしている。それでも完璧に伝わった・伝えられたとは思えないはずだ。それが言語コミュニケーションだからだ。

「意図と言葉の間に生まれてしまう齟齬の存在」。

そもそも言語を介さなくて良い思考形態があるならば?

 

これと同じようなことが前巻であった。

 そう、物質界では実現できないことでも、電子界で実現できることがある。前提が違うからだ。 

あなたを理解するということ、孤独を打ち砕くということ

物理世界では思考が電気信号で伝達方法たる言葉が「音」である。しかしヴァーチャル空間では思考と伝達方法が共に電気信号になる。どちらも同じ形式だ。

入力と出力が同じ形式ならば。

もしその齟齬を除去する、というかそもそも発生させない変換があるとすれば。

もしかしてその変換方式が、「共通思考」なんじゃないか?

僕たちは、鳩がどこへ飛び去ったかも知らない。

あの人がどうして、自らの命を絶ったのか知らない。

自分一人だと寂しくなる理由も、わからない。

いくら肌を触れ合っても、いくら愛し合っても、身近な人の気持ちがわからない。

おそらくは、そういう障害をすべて取り除こう、と彼女は考えたのだろう。

そう、マガタ・シキという一人の天才は、自分が一人だということに疑問を持ち、それに抵抗したのだ。その孤独を打ち砕くために構築されたプログラムこそ、共通思考であり、そしてそれは、今のこの社会そのものの未来でもある。

—『リアルの私はどこにいる?』

そしてそれは逆説的に、その変換プロセスを通る前を「心の中」と定義することが可能になる。内面と外側の双方がデータ化されて境目が無くなった世界では個人も曖昧になる。個人を保つのは、私は私であるという心、信仰だけだ。「心はあるのか?」に対して心、意識が個人に存在すると信じていける根拠が出来る。

 

出力が正しければ、正しいデータが出てくれば、それらは発達したコンピュータによって最適な処理を行う事ができるだろう。

入力が正しければ出力も正しいのがコンピュータだ。

「大まかなイメージとしては、世界中の人間の思考を取りまとめるようなシステムだろう。それが実現すれば、政治家が不要になる。人類は見かけ上、一人の人間のように、世界のことを考えられる。自分たちがどうすればよいのかを判断できる。犯罪もなくなり、協調と協力しかない理想的な世の中になるはずだ。」

『リアルの私はどこにいる?』

政治家が不要になるというのはそういうことだ。直接民主制が実現可能になるんだから。

人間の命令を曲解したAIが暴走してディストピア誕生、といった猿の手のようなオチも笑い話になるだろう。ちゃんと伝わるんだから。「ちゃんと伝える」は共存において最も大切な基礎だ。

ヒトと、ヒトでないものと、人工知能と、何と共存するにせよ。

共通思考を描くもの

結局「共通思考」って何なの?という質問には「これです」という回答はないのだと思う。当然だ。 共通思考というものを一言で表すとそこには解釈の余地が発生してしまう。しかし、現状の我々にとっては、言葉を尽くすことによってその解釈の余地を限りなく狭めていく、というのが最善の手法なのだ。今はそれしかない。

 

だからこそ、物語が出来上がった。

 

つまり――このW&WWシリーズこそが、十数冊の書籍に収められた文字群こそが....共通思考へのアンチテーゼなのだと私は思う。