火事場に白檀

本文

茫洋とした夕暮れに惑いながら赤信号で車を止めた。西の空が、最近見ない歯磨き粉みたいな色をしていて、右手に持った栗饅頭にわずかに力が入る。虫歯のような気がしているが自律神経の乱れのような気もしている右奥歯の痛みを思い出したからだ。

溜息。空はいつも思い出さなくて良いことばかり思い出させる。

信号が変わり、私はアクセルを踏んだ。

通常の二倍の大きさの栗饅頭を咥えながら、32号線を直進する。

上品な甘さが涎とともに口いっぱいに広がっていく。

 

火事場に白檀という諺がある。あることにする。

ある夜、ある男が異臭に飛び起きてみると隣家が燃えている。男は燃え盛る火事をどうにかしたいと思うが、どうにかできるだけの知恵も力も無い。それでも男なり考え、自分の家から白檀を持ってきた。そうして燃え盛る隣家の前に白檀を置いた。火事場に添えられた白檀からは良い香りが漂うが、家は燃え盛るばかりで火事の解決にはならない。

転じて、物事を良くも悪くもしないが無駄な善意を差して言う。

今の私はまさに火事場に白檀だった。

 

朝から5時間かけてドライブしてきて、20分でトンボ返りだった。

私が住んでいる町で一番の老舗和菓子店「みすず」は通常の二倍の大きさの栗饅頭が有名で、菓子折りにするとちょっとしたアタッシュケースみたいになる。包んでもらった箱を見たとき、これはいくらなんでもやりすぎかと心配していたけど、結局問題はそこではなくて、通常の二倍の大きさの栗饅頭が10個入ったアタッシュケースみたいな箱は車から一歩も降りることなく、帰りも一緒になった。来なければ良かったとは思わなかったが、来なくても良かったと思った。これって誠意だったのかな、ともぼんやり考えた。そうであってほしいだけかもしれない。

カーラジオからは何曲目だかわからないクリマスソングが流れていて、街はイルミネーションで煌めいている。ケーキ屋にはたくさんの車が止まっており、チョコレート店は長蛇の列だった。仕方なく立ち寄った土産物屋には、どこでも見るようなあんこ餅と鮎の甘露煮しかなかった。スバルはあんこがダメだ。鮎の甘露煮を2つ買った。今日選んだことは全部間違えている気がしてきた。助手席に鮎の甘露煮を置いて、少し考えてから、栗饅頭の詰め合わせの箱を開けた。大きな栗饅頭が10個、つやつやと綺麗に並んでいた。

私はその一つを丁寧に開けて、食べた。たぶんこれも間違えている選択な気もしてきたが、考えるよりも先に食べた。二つ目からは粗雑に開けた。そしてエンジンをかけた。

 

再び赤信号で止まり、窓を少し開ける。

夜が満ちていた。白く冴えた月と冷たい風の奥に、私の手のひらと同じくらい乾いた空が広がっている。クリスマスがダメになった、と詫びた私をスバルは優しく許してくれた。じゃあ今のうちに渡しておこうかな、と渡された黄色い薔薇のハンドクリーム。プレゼントでもないと君はこういうおしゃれをしないんだから、と笑っていた。私はスバルのそういうところに甘えている。好きだ、スバル。でもそのハンドクリームを、今朝、本棚の、後ろに落とした。自分の愚かさにハンドルを握る手が強くなる。栗饅頭がわずかに崩れた。饅頭屑が膝に落ちる。

空はいつも思い出さなくて良いことばかり思い出させる。

信号が変わり、私はアクセルを踏んだ。

この調子なら、日付が変わる前にはスバルの家に着けるだろう。

 

校正による栗饅頭の変移

菓子折りにすると、ちょっとしたランドセルみたいになる→アタッシュケースに変更

詰め合わせの箱は助手席の座面よりも大きい。→削除

綺麗に並んでいた→”つやつやと“を追加

こぼれた饅頭屑が膝の上で、まるで夜空の星みたいで→削除

総数を20から10に減らしました