パフェを完全に理解する

 その日は昼食もとれず、朝に胡桃がたくさんのったディニッシュと濃いめのコーヒーをお腹に入れただけだった。時刻はちょうど三時になるところで、おやつを食べるしかないな、と考えてマップから近場の喫茶店を探した。写真のパフェが一番美味しそうなところに決めた。

 

 路地を二、三回曲がったところで目当ての店に辿り着く。私は頭の中で地図を回しながら歩けるので、こういう時に迷うことは殆どない。一度歩いた道の復路もショッピングモールの駐車場に停めた車の位置も問題ない。地図は基本ノースアップで見るけど、カーナビだけは進行方向アップの地図だ。ハイラルマップもノースアップ固定派。つまり、自分の足で歩くかどうかが基準になっていて、私にとって運転とは、指示通りハンドルを回すだけの点から点への移動作業だということだ。運転に何の思い入れもない。早く鉄の塊を操作する恐怖から解放して欲しい。

 

 半開きになった扉をカランコロン開けると薄暗い店内から好きな席にどうぞ、と声がかかる。席なのかオブジェクトなのか分からないチェアを選び、インテリアなのか読み物なのかわからない積まれた本の中から恐る恐る『珍奇植物LIFE ビザールプランツと暮らすアイデア』という雑誌を取る。バインダーに挟まれたガサガサした紙のメニューを見る。スルスルスル、とマダムがやってきていい匂いのする水とオシボリを置いていく。マダムの去り際にブレンドコーヒーと季節のパフェを頼んで、私は雑誌に目を落とす。

 知らない植物が祭壇のように積み上げられており、栽培の難しさが語られている。呪文のような名前の草たち。唯一知っている草、ウェルウィッチアとそれを教えてくれた五歳の友人に想いを馳せていた頃、パフェが運ばれてくる。 おお、見事な造形。慎重にミントを剥がし果物とクリームを掬い取る。ピスタチオのアイスと生の苺が不思議な味になる。フランボワーズのクリームはジンジャークッキーの欠片たちと一緒に食べるとジャリジャリトロトロして美味しい。それぞれ知ってる味なのに組み合わせると新しいものになるんだなぁ、と思う。

 

そこで私はパフェを完全に理解してしまう。

 

パフェってもしかして、お菓子の味と食感の掛け合わせの妙を楽しむという、こだわりカレーみたいな食べ物なんじゃないか? パフェは確かフランス語で完璧とかそういう意味だったはずだ。色んなものが載っていて足し算的に百点になる食べ物ではなくて、掛け算で百点を狙うという食べ物なのだ。だからより盛った方が完成度が高いというわけではなく、完璧というのはむしろ自然界に存在しない"parfait"を創り上げる人工的な試みなのである。

 

パフェは、縦方向に造形された洋菓子の集合体ではないのだ!

 

エウレーカ、という気持ちで私は奥のスポンジとクリームをスプーンに配分し、ガラスの端に乗ったオレンジを丁寧に剥いてゆく。おお、こんなにも未知がある。しっかり味わってからコーヒーを飲む。

 

静かな喫茶店で、空になったグラスとコーヒーカップ、珍奇植物の雑誌、そして半年も一緒にいた財布の中の五円硬貨とその友達にグッドバイを告げ、私は外に出る。春はとうに過ぎ去っており、この時間の西日は少し暑い。路地の日陰を辿るように駅に向かいながら、私は手に入れたばかりの真理の感触を確かめていた。