そう、出来れば再会は偶然でありたかった。

hotmailにface bookに古い知り合いが登録した、という通知が来ていて数年ぶりにその人の名前を見て、なんだかこんな形で思い出したくはなかったなあと微妙な気持ちになった。(忘れていたわけじゃないけど)

おそらく昔msnメッセで何度か通話していたので、その繋がりで自動的にメールが来たのだろうと思う。

自分はface bookに登録していないので、よく聞くダッシュボードに「もしかして友達かも?」と小学校の同級生や先生の名前が出てきてびびったなどという経験はないのだがこれも中々気持ちの良い通知じゃないよなぁ。

多分、「こんなところでこの人の名前を見たくなかった」というのが一番のもやもやの原因だろう。

人生を通り過ぎてきた忘れ難い一過性の人々ってのが存在していて、(それは有体に初恋の人だったり、名も知らぬ恩人だったりで)そういう人たちと、ある日突然「ほらほら友達だよ!」って半ば強引に再会の場を設定されるのってなんだか運命ぶち壊してるよなあと思うのは少し人生に夢を見すぎなのだろうか。

そういう人たちには出来ればもう一度会いたいと思っているはずなんだけど、どこかその再会には偶然という緩衝材が必要で、それはきっと「会ってしまった」のような諦めがないとその人ともう一度話せないのだと思う。

なんだか楽しかったけど写真は一枚もない思い出の美しさとか、そういう所に分類される類の感覚の一種である。