切り取りテリトリー

 もう春じゃん。
と窓を開けて、風の匂いを嗅いで思った。今日は長袖に一枚カーディガン羽織るくらいで丁度良い。こんな日は、川沿いをふらふら歩きながら、他愛もない話をして、子供でも見ながら…と思いつつ、やる事がたまっているので残念ながら予定として空想するだけにとどめておく。

 春になるたびに嬉しくなる。
友人達の寂しそうに呟く「何もかも終わっていくね」という言葉が少し、嫌いだ。終りだとか、別れだとか、悲しくなることはなるべく口に出したくない。きっと私はどんなときもサヨナラではなく、またね、と言っていたいのだと思う。中学、高校、大学とずっと、卒業のときは「これからもよろしく」と言っていた気がする。
 私は、繋がった縁というものはそう簡単に切れるとは思っていないし、地理的な距離というのはあまり意識しない。(ネットというものに触れ始めたこともあるだろう)多分、区切りというものを意識していないのだ。何かが終わることもなければ、何かが始まることもなく、ただ日々の変化がある中で続いていくだけだという認識なんだろう。時間だとか、関係だとか、そういった枠組みというものをあまり価値のあるものだと思っていなくて、1分だとか×××君だとか、そういった単体で見ている。今日だとか、友人だとか思っているわけではないから、多少の感覚のズレはあるのかもしれない。
一瞬を永遠に置換し消費し続けているのだ。

 季節がめぐるたびに思い出すことが増えていく。
期間限定のラテを飲みながら「去年も、こうしたね」「そうだっけ」という会話をする。耳の奥で鳴っている知ったばかりの音楽はきっと来年またこの季節に思い出すのだろうなとくすぐったくなる。
立つ場所は変化し続ける。地理的には同じ座標に立っているつもりでも、多分変わっている。だからこそきっと何も変わらないのだ。

 また冬から春に変わる。
きっと幾つものサヨナラを聞く。アリガトウも聞くだろう。
それでも私は、少し笑いながらまたね、と答えていたいのだ。
季節は、巡る。

今、息吹く香りがする。