FLOWERS FOR ALGERNON


アルジャーノンに花束を』を読み終わった。
久しぶりに声を上げて泣いた。

以下、長ったらしい粗筋&感想文ですので酔狂な方のみどうぞ。↓



本書は、精神遅滞のある主人公(チャーリィ)が、「りこうになる」為の実験を受け、劇的な知能の急上昇を果たすが、人為的な天才は仮初のものであり、やがて又知能は低下していく。そんな物語である。チャーリィの経過報告という日記のような形で綴られ、やがて彼の一人称視点の小説になり、最後はまた、経過報告という形で締めくくられる。全てはアルジャーノンという人為的に知能が発達したネズミの存在から始まる。

「知能遅れ」だった頃のチャーリーは馬鹿にされ、嗤われてもそれすら分からなかった。「りこー」になればきっと皆の言っている事が理解でき、同列になれるのだと信じていた。彼の感性は無邪気そのものであり、「ともだちていいものだなー」と呟き、知ること自体を楽しむ姿は子供そのものである。そして、アルジャーノンに会い、彼をライバルとして知能向上の実験に参加していく。

実験により天才的な知能を手に入れた彼は、やがて実験者であった研究者や教授よりも遙かに賢くなってしまう。それと同時に自分が今までどんな扱いを受けてきたのかを理解する。幼少期のトラウマ、蔑む事で幸福を得る人々…「利口になれば全てが分かると思っていたのに」という。周囲は急に天才になったチャーリィに戸惑い、彼は孤独になっていく。唯一の友はアルジャーノンであった。

やがて、同様の実験を受けていたアルジャーノンの知能が低下しだし、チャーリィはそれが自分にも起こることを知る。何もかも忘れていく事に怯えながら、彼の心は初期の無邪気さを取り戻す。天才であった時の自分が書いた論文が読めなくなり、言葉が拙くなっていく中、「やっぱりともだちはいいものだなー」と呟く彼の言葉が重い。

認められたい。もっと賢かったら、良い子だったら、と思う人は多いだろう。
この本の根本にあるのはその想いだ。

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精神遅滞者から天才へ、そしてまた知能遅れへ。そうした経過をたどったチャーリィの最後、何もかも忘れていく中の言葉が心に染みる。
人はどこから来て、何処へ行き、自分は何者なのか。
有名な聖書の言葉であるが、本書はまさにその問いが全てだと思う。
何を得、何を失い、何を棄てるか。
アルジャーノンに花束を」の言葉の深さは、きっとこの本を最後まで読まないと分からないだろう。
読了時、愛おしさと、切なさに涙が止まらなかった。是非、一読を勧めたい。