ID:invadedめちゃくちゃ面白かったし、やっぱり俺たちは舞城が好きだよ

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id:Invaded終わっちゃった......。

毎回最高に面白くて、これはどうなっていくんだろう?と毎週楽しみにアニメ見てた。最後にいろいろ書いておこう。

 

最終話振り返り

神様コンプレックス、なやつですか?

ジョン・ウォーカーの7人殺す7人の殺人鬼による世界創生という「意味」を破壊する本堂町。確固たる信念を持って成し遂げられた悪事に敵対するには、という答えだ。「殺人」が見立てやトリックで「本来ならばただの悲劇」をドラマチックにしてしまうのであれば、そこにある意味を貶めてしまえば良い、というミステリィのメタ的な正義を見ることになった。だからこそ、本堂町は「あなたの正義への誠実さは否定しない(意訳)」と前口上を述べるのだ。

衝動だけで行動は決まらない

前半で印象的に繰り返された台詞である。その言葉は裏返せば「行動によって源泉たる衝動の価値が確定する」という事だ。百貴の木記への回答、鳴瓢と本堂町の信念、そして井波(数田)、富久田の果て。そして何よりもジョン・ウォーカーへの本堂町の回答という形で決定的にされている。

生きたい奴は生きる

自殺はしない。

「過去に自殺未遂があった」という記述はあれど、自殺願望のある木記も富久田も自殺はしない。(最終話で木記が実行しようとするが、あれは願望による自殺ではない)鳴瓢も百貴も......本作品における正義側の「生きる」という事に対する価値観は一貫している。現実が一番重い。人が呼吸し思考し行動している生きている世界は、重いのだ。

そしてやっぱり富久田は死ぬし、木記は生きる。木記は、本当は生きていたいので。

涙一粒くらいがこの人には丁度だと思います

物語的には非常に味のある立ち位置で富久田の死は感動的であったが、その本質は殺人鬼だ。本堂町も鳴瓢もそこは看過しない。物語の一時的な盛り上がりで根幹にある倫理や正義が揺らぐことはないのだ。ここでも生きるということの重さが根幹にある。どんな正義感や信念があろうとも、他の生命を意図的に奪う行為は悪なのだ。その悪は消えることがない。

ただのぽけぽけした感想

酒井戸と聖井戸の間の、そして鳴瓢と本堂町にある空気がどんどん変わってくのがめちゃくちゃ良かった。だんだん鳴瓢の声が優しくなっていくとこ、ぐっときたね。10話といい、声だけでここまで内面を表現できるのか...と声優の津田さんの演技に脱帽でした。

ちゃんと最後にバラバラのイドで終わるとこも、本道町の穴も、全部あるべきものがあるべきところに収まって美しい。すごいアニメだったよ本当に...。

あとさーやっぱり最後は希望で終わって、ハッピーエンドで終わって良かったね。 

ウォオォオオーーー!舞城センセー!好きだ―!!という気持ち 

 今回、久しぶりに「舞城センセーの名探偵モノ新作」を味わえた熱狂ファン(多感な時期にゼロ年代メフィスト賞作家にやられた人たち)が歓喜の声を上げていた。私もだよ。短編集も好きだし、淵の王も大好きだけど、ディスコ探偵とか獅見友成雄みたいな「考えろ考えろ考えろ!世界と俺!」みたいな脳の回転がそのまま文章のグルーヴ感になってるヤツも大好きだもんね、うんうん。

 好き......。

 何より、こうしてアーダコーダとネット上で考察だの感想だのを書いたり読んだり出来たのがとても楽しかった。

まるでパインハウスの名探偵たち*1やエンジェルバニーズ*2のように。だから(だから?)私たちは作品から余計な文脈を読み取って、アサッテの推理をしたって良いのだ。最終的に目に箸を刺すことになるけど。

そういう気持ちの行き着くところ

「好きだ・面白い」という共有が、感情を超えて出来ることは凄いことだと思う。何が面白いのか、どこが好きなのか、この作品は何なのか、それらが感情から言葉になる時、そこには恋心にも似た時間の占有がある。時間は万人が等しく捧げることの出来る至宝の一つである。「面白いね、そうだね」だけに留まらない言葉の奔流は作品に対する最高級の称賛の一つだ。

みんなももっと面白いものとか好きなものについて語ろう。

間違えたって大丈夫。せいぜい目に箸を刺すくらいで済むし、そういうのは全部最後に名探偵がまるっとハッピーエンドに帰してくれるから。

 

*1:ディスコ探偵水曜日』に出てくる名探偵たち。推理を披露して間違えると自ら目に箸を刺す

*2:ディスコ探偵水曜日』に出てくる推理に対してワイワイガヤガヤする人たち  

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 
ディスコ探偵水曜日(中)(新潮文庫)
 
ディスコ探偵水曜日(下)(新潮文庫)