パワーワードとしての芋煮会と夢の中の透明な泥、捨てられた現実味、お腹すきすきザウルス

 寿司と芋煮会パワーワードだ。

何でも寿司とつければ面白くなるし、芋煮会も同様に面白くなってしまう。メカニカル寿司屋、バーチャル芋煮会、過酸化寿司疏水、地下芋煮会....なんだって面白くなってしまう。その根底に「芋を煮るだけの会、フツーやるか?マジで芋を煮てその芋を食うために集まるの?ンフっ...」という気持ちがある。そうだな、もう存在が面白いよ芋煮会。寿司は「あの、清楚で高貴な寿司にそんなワードをくっつけるのか!?」というギャップが面白さの根源だ。ただ大抵の単語との間にギャップがあるので、その合体は常に面白くなってしまう。

だから寿司と芋煮会を安易に使って面白ワードを作るのはセンスレスというか、面白さを素材に頼りすぎている。と思う。これは自戒。

 

よく、夢の中で「読もうと思っているのに読めない」「ブレーキを踏もうとしているのに踏めない」みたいな、物質の故障ではなく自分の身体の上手くいかなさみたいなもので何かが不可能になることがある。そのもどかしさと焦りで眼が覚める。寝覚めが悪い。夢の中の泥の所為だ。夢の中では時折、天空より透明な泥が降る。その泥があなたに纏わりついているとき、あなたの運動は阻害される。特に晴天の時が多く、雨や雪が降っている時にはあまり流れない。これは、善行を積み地獄の濁江より放たれた大鰌が、清水たる天においてその苦痛と欣喜ゆえに泥滓を吐くからだと言われている。今も地獄では多くの大鰌が天に昇るべく無償奉仕や喜捨に勤しんでいる。

 

最近、かなり疲れており、辛い話が辛い。

具体的に言うと、子供が死んだニュースとか惨殺死体の出てくる推理小説とか苛められて心に傷を負う映画とかを観たくない。もっと言えば国と国が争っていますだとかテロだとかデモだとか人間の諍い全ても見ていたくない。

精神が疲弊するので。

猫ちゃんが出てきて周りの人間を全員ハッピーにする映画とか、信頼しあったアホ仲間と楽しい青春を過ごしつつ最後に皆でハッピーになるアニメとかしか見たくない...。

Departure

Departure

 

Angel Beats!めっちゃ良かった。リトバス*1のあの男4人が延々アホやっているシーンあるじゃないですか?あれがほぼ13話続きます。最高じゃん。例によって主人公の親友キャラがすっげぇ良いんだよ...。

もうハッピーな人間しか見たくない!

ということで小説も火星で高次生命体に出会った話だとか、全部幽霊のしわざの殺人事件ミステリィしか読んでいない。ハッピーがない場合、現実味は捨てることにした。

 

私は人との対面コミュニケーションが非常に苦手だったが、中学の頃に『B.B.Joker』や『すごいよ!マサルさん』などのギャグ漫画を読み続け、「会話は基本的にボケてもう一度ボケてツッコめばOK」ということを覚えた。だいたい大学生くらいまでそれでやってきたし、概ね何とかなった。何とかならなかった奴とは友達になっていない。

しかし、最近は基本的に引き篭もっているので、対人コミュニケーションでの「ボケ/ツッコミ」が無い。一人で面白いことを言わなければならないとなると人間は壊れてしまう。その結果、恐ろしいことに生活における眠気や空腹に対して「ねむねむ侍」「お腹すきすきザウルス」みたいなことを言うようになってきてしまった。しかもこれが面白ぇの何のってガハハ...。

どうしようもない。Good day for 2台...ガハハハハハ

 

 

 

 

 

 

*1:よもやこのブログの読者でリトル・バスターズ!を知らない人間は居ないと思うが、Key製作のゲーム、リトル・バスターズ!のことである