なんとなくに抗う

「生活をちゃんとしよう」と思った。
人間、年を経るにつれ受動的に変化できなくなっていくので、自ら「変わろう」と思い立たないと中々性格も習慣も変わらない...
ということで、”頑張って”生活している。
そう、頑張らないと出来ないのだ。
具体的には、不燃ゴミを溜めないとか・タオルをきちんと並べてしまうとかなんだけど、相当意識してやらないとすぐダレる。
習慣化されれば苦でもないだろうことだけど、基本的に怠惰な人間なのですーぐ「まあいっか」になっちゃうんだよね。
自律って難しいものだわ。

食事だったり、観賞だったりのマナーを守るってのも、自律できるかどうかだけの問題だ。
「マナーを守らなくて何が悪い」はその通りで、善悪で言えば何も悪くない。
一人で完結するタイプの所作に関するマナー(作法)は基本的に、世間で合意形成された美意識なのだと思う。
楽さとか合理性を考えれば、マナーに従わない方が良かったりするのかもしれないけど、
「それが美しい事を知っている」「そしてそこに従う自律性がある」ってのは身の美しさ、ある種の教養と言える。
マナーに関する「別にやっても良いじゃん」、は「やらなくても良いじゃん」という反面とフィフティ・フィフティだからね。
最終的にどちらを取るかが完全に本人の性格次第というだけで...

二者間で成立するタイプの、人間関係に関するマナー(名刺の渡し方とかドアのノック数みたいな)はアホみたいに量産されているから何とも言えないけど。 
言葉のマナーも結構怪しいところありますね、ただ言葉は基本的に時代と共に変化するものなのでちょっと違うとは思う。

なんとなく気儘に生きていくのは簡単だけど、やっぱそれは自分ひとりの場合だけだよなーとか。