囲う苦痛/過去 鬱屈


もしかしたら私は五千年生きていたのかもしれない、と思った。

少しずつ抜けていく記憶、混ざりつつある思い出に怖くなった事もあった。
8年前の事だったからしら、9年前の事だったかしら。
私には弟なんていないのに、この記憶は、現実ではないの。あの日読んだ物語の中の話。
段々過去は混ざって、現実と虚構の差は曖昧になってくる。あの時降っていたのは雪だったかしら、桜だったかしら。
ぎいぎいと脳の奥が軋みだす。分からなくなる、気付いてはいけない何かをわざと見落としているみたいだ。そしてふと思った、私は本当はもう五千年くらい生きてるんじゃないのかしらって。

生まれたときのことを覚えている
なんていうのは、後から見つけたアルバムの中の写真で確認したことだから
もしかしたら私、八千年くらい前に作られた木彫りの人形に魂が宿っただけかもしれなくて
中も見たことないから、本当にあんな、あんな赤黒くててらてらした臓器や絡みつくような血管が走ってるのかも分からなくて。ぱっくり開いてみたら案外中身は木屑だったりしないかしら。
考えてるのも私のやってる事かしら。
うふふ
誰か私の考えてる事、作ってるのではないの。

五千年も生きてたら、きっと
三千年くらい前の事なんて、七百年前の事と区別つかないかもね。
昨日ついたと思っていた傷は、五十年前のものだったりして。
もうね、きっと四千九百八十年間の事は、殆ど忘れちゃっているのよ。
ごめんなさいね、初恋のひと。

あぁ早く死にたいなぁって
何回思ったのかしら、私。

もうずっとこのまま、時が止まればいいのにって
何回願ったのかしら、私。

愛してるって何回言われて、好きだって何回言って
ごめんなさいって何回
赦してもらえたのかしら。

夜の奥から吹き荒ぶ冷気は、この古い建物の汚れた窓ガラスをみしみしと揺らし、一人怯えている私へと密か寄り添ってくるのでした。星も見えれば何か変わったかもしれませんが、生憎月すら見えず、こんな夜ではよだかも星になれまい、と空想の悲しみに思いを馳せているのです。痛くなる胸、いえ心のようなものを必死で守りながら、右手の人差し指で右足にゆっくりとSの字を書いてみました。それから少しずらして、横にOの字を書くと、それだけで右足はいっぱいになってしまい、最後の一文字は諦めるほかありませんでした。ゆっくりと朝に近付いていく夜は、恐ろしく、荒めに呼吸をして生きている事を確かめる他、生き延びる術は無かったように思います。

残念ながらもう忘れてしまった四千九百八十年間の中で
やってなかった事はなんだったかしらって
最先端の機械を触りながら少し楽しくなるの。

そうやって笑う私は
二人いるみたいで、それはまるで、
ゆっくりと狂っていく
古時計のようでした。